(13) 日本の環境

1926年3月5日 宮崎から
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父、副総長へ

リカルドーネ神父は、当時、サレジオ会の副総長、宣教地を担当者だった。

私の良きピエトロ・リカルドーネ神父様

(略)宮崎の人口は4万人ほどですが、増加しつつあります。ここは、役人や公務員の最初の任地となっています。役人はとても熱心で、細かいところまで知りたがります。私たちは、すでにあらゆる角度からインタビューを受けています。後はどうなるか分かりませんが、全般的に見て、大事にしてくれています。私は、肩書きをすべて訊かれて、どれほど多くのお辞儀をしてくれたことか! なお、いろいろな外国語も話せることを知ると、天から落ちてくるぐらいに感心します。ここは、農業の盛んな土地で、農業高校もありますが、まだ訪ねていません。(略)

日本中どこへ行っても、平らな土地さえあれば、整然と、日本人独特の器用さで手入れされ、耕されています。肥溜めが大いに使われているので、空気中、悪臭がたちこめます。水田も、それに伴う蚊も豊富です。といっても、滞在期間が短いので、はっきりとした判断はできません。(略)

宮崎では、一般的に言って、何でも(お米、魚、くだもの、肉、牛乳、卵、パンなど)見つけることができます。これ以上、何を望みましょうか。

宮崎の信者は、添付した紙の上では200人以上いますが、今のところ、実際に通っているのは100人ちょっとでしょう。復活祭の時を見ましょう。子供たちは、イタリアの子供と変わりありません。まあまあ上手に歌ってくれます。聖ヨゼフの祝日と復活祭には、荘厳ミサを歌い、少し幻燈をやる予定です。子供たちは、遊び、歌い、劇をするために生まれてきたようなものです。一応、彼らとのつながりができました。ちょっと恥ずかしがりやですが、なぜでしょうか。いずれか分かることになるでしょう。(略)

結論としては、日本までの旅、到着後の生活、人々の歓迎、最初の接触のすべてにおいて、説明しきれない、驚くほど神のみ摂理を感じます。その御手は私たちを日本に導き、すでに大きな収穫を垣間見させてくれるかのようです。

宮崎に関して申し上げますと、世話されていない子供たちは、アリのようにあふれています。とくに下町でそのことを見ました。ああ、わが神、われらの母(マリア)、ドン・ボスコよ、どうか、一日も早く、この小さなサレジオ会員たちの舌がほどけるようにしてください!

確かに、今日までのところ、イエス様は私たちを手袋をはめて大切に扱ってくださいました。これからは刺もやってくるでしょう。是非とも、そうなりますように! しかし、神のみ国が勝利を治めますように!

この国でも民主化運動の風が強く吹きはじめ、今や多くの古いものを捨て去ろうとしています。十進法をとり入れ、英語も勉強し、職場でも学校の生徒たちも洋風な格好をするようになりました。よい方向に進歩することになるのでしょうか。どうか主よ、お助けください。

今、作曲したかわいい民謡や、他の歌をいろいろ集めているところです。

神父様を強く抱きしめます。皆さんにご復活のお祝いをお伝えください。会員たちは、とてもよくやっています。どうか私を祝福してください。ああ、扶助者聖母の行列に(5月24日)私たちもそちらにいたいということを覚えていてくださいね!!!

ヴィンチェンツォ神父