(15) 日本の生活やその言葉の難しさ

1926年4月2日 宮崎から
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父、副総長へ

親愛なるリカルドーネ神父様

月の静修にあたり報告をまとめます。(略)

1) 日本人は皆、何でも読み、ドイツ語、フランス語の本が山ほど訳されています。しかし、カトリック関係の出版物はとても少なく、ゼロに近い。・・・私が知っているかぎり、印刷所を持っている修道会はありません。・・・
3) 法律により外国人には所有権がなく(帰化すれば別です)、私立小学校は持てません。シスターは幼稚園を持つことができます。・・・教会学校は、放課後なら毎日できます。困難なのは、信者たちを使徒職の面で養成すること。彼らは私たちが異教徒のために働くことに大変嫉妬心を感じます。まるで自分たちの立場が失われるように。・・・

今はよい時期です。教育のためのあらゆる活動は良く見なされ、高く評価されます。・・・日本人は吸収するのはとても上手です、、、。

私の文章はご理解いただけたでしょうか。日本語を覚えるために自分の考えをねじったり、ひっくり返したりして、「やさしい、響きのよい、純粋なイタリア語」はどうなってしまうかを思うことがあります…。

日本での今の季節の美しさを理解するには自然の中のいちばん美しいものを想像してください。どこでも緑と花。家より高い所はどこでもそうです。子供、女の子、女性たちは蝶々のように着飾っています...。畑の耕作も見事です(大麦が穂を出し、くわ、豆類、菜の花畑、田植えなどの準備が進められています。)この位申し上げれば十分です。

聖母月にあたり、マリア様がすべてを照らし、明らかにし、しめくくってくださいますように。主の内に神父様を抱きしめます。

あなたの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父