(19) 教皇庁使節への報告

1926年4月20日 宮崎から
Giardini Mario ジャルディ−ニ・マリオ司教、在日教皇庁使節へ

敬愛する教皇使節閣下

心待ちしていた16日のお便りをこの上もない感謝のうちに共同体で読みました。今度、閣下がおいでくださるという願ってもみない光栄に感謝でいっぱいです。

さて、私共の現状をご報告申し上げます。

おかげさまで、私たちはみな元気でやっています。風土に慣れる段階では少々病気にもなりましたが、今は心配なく進んでいます。・・・

日本語の勉強も順調です。尋常小学校の教科書第2巻を終え、カタカナに慣れ、漢字の習得を始めました。現在の勉強方法はいいと判断し、小学校の教科書12巻を全部見ていきたいと思っています。一通り、日本で教えられる内容を知るためでもあります。読み書きの道を覚えたら、後はひとりでも遠く歩けるでしょう。毎晩、先生がいろいろな対話を通して新しい単語を教えてくれ、日本人の思考の構造に慣れるようにしています。

私たちはいつ支部に別れていくのでしょうか。どの時が一番良いのでしょうかを、閣下がお勧めください。・・・話によりますと、コンバース司教様は9月の黙想会にでもパリミッションの神父様方に手を引かせたいようです。その頃、信者たちに損がないように、私たちは引き継ぎの準備が十分にできているのでしょうか。善意に満ちていても、今のところまだ何とも言えませんが・・・

何らかの日程を決めなければなりません。自由な状態にならない限り、私たちは、問題を起こさずに若者のために効果的に働けないのです。反面、完全に準備ができるまでを待てば、いつまでもその日が来ないでしょう。ドン・ボスコが言うように、「泳げるには、水に飛び込まないといけない」のです。・・・

宮崎には、蟻のように若者が溢れています。・・・試してみたら、信者の若者たちのなかでとても良い結果を得、みな全面的に応えてくれています。未信者の若者も来てくれると思います。けれども、ゆっくり行かないと、司教様からしかられそうです。・・・そうは言いえ、若者たちを目の前にして、ただ見ているだけでいることは、我々サレジオ会員にはできません。・・・

私たちのためにお祈りください。私たちも日々、閣下のことを心から思い出しております。

教皇使節閣下の僕、サレジオ会員
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父