(30) 日本の宴会と礼儀作法、日本の琴、『虹』の歌

宮崎 1926年7月27日
Costa Luigiコスタ・ルイジ院長とヴァルサリチェの共同体一同へ

敬愛するコスタ神父様と会員の皆さん

私の返事が遅くなって、皆さんに借りができました。聖人ぶっているあの神学生たちが手紙をくれるかと思って、今まで待っていたからです。これ以上待てないよ。そうだ……彼らの損だよ。全く手紙をくれないなんて。よくそんな勇気があるのだなあ。それなら、私が書こう。

コスタ神父様がおっしゃるとおり、皆さんはまだ離れていることに慣れていないのだなぁ。一カ月、四十日間、君たちにとって大したことないね。ゆくゆくは、いつか、ラジオでも手に入れることにしよう!

@ 扶助者聖母の祝日と、みこころの祝日おめでとうございます。ピオヴァの林間学校のためにもね……! ああ、そのことは考えないほうがいい! 私は感受性が強いから(笑い事ではないよ!)、でも、まだホーム・シックにかかっていないよ。今、一九二六年七月二十五日午後三時。気温は三十六度、蝉は自分たちの仕事に励んでいる。窓からは時折涼しい風が入って来るが……、ピオヴァの山々を思い出すと、とても懐かしく思う。(……)
A

先日、宮崎で一番の金持ち、有名なお医者さんの家の夕食に招かれた私を想像してみてください。時間はきっちり! いつもの礼儀! 入り口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、再びスリッパを置き、例のお辞儀(膝をついて三度頭を下げる)、最初の挨拶!

 夜八時、氷の入った冷たい水が出される。なんと美味しい食前酒!

 家族のメンバーが部屋に入り、またお辞儀と深い吐息、ワインを味わうときのように! 吐息が多ければ多いほど良いそうです。でも、お辞儀のほうは楽しい。望めば望むほど、左右ぺこぺこ運動です。

 やっと、食事の時が来た。食べることなら、私もとても上手です。まず、食卓につくようにと言われた。全部で六人。フランス人神父二人、私、奥様とお子さん二人(お医者さんは会議があって、最後に来られた)。ご夫人は、食事もせずに、娘たちと一緒に給仕し、伝統的な扇子で客を仰ぐ(なんたる名誉!)。食事の時、女性は男性と同席しないそうです。テーブルの高さは三十センチあまりで、幸いにその下に脚を伸ばすことができて、少し楽になりました。

 今度は、左隅に茶色塗りの蓋がしてあるお椀の載った、金縁の漆塗りの四角いお盆が出される。中身はなんでしょうか。それは秘密! 特に、初めて本格的日本食をいただく私には! 側に小皿があり(コーヒー用の皿に似ている)、その中に貝殻が載せてあり(素晴らしい鮑です。トネーリ神父の採集にほしいでしょう!)、その中に料理した貝がうす切りにされて入っている。さらに小さな皿には、料理した貝をつけるためのソース。その側にもう一つの皿とゆでた魚とそのためのソース。また、もう一つの皿には、刺身とそのためのソース。さらにもう一つの皿には、カボチャ(ここのカボチャは繊維が多い!)とそのためのソース。もう一つの皿には、美味しそうに焼いた鯉とそのソース。最後に、紙に包まれたかの有名な箸が置かれている。

 一応、一通り、全部試すべきだと言われました。お椀を開けて、箸を握って(初めてでした)、お汁の中をさぐると、少しの野菜と一緒に魚のひと切れが浮いていた。お箸をあやつって(やってみたら、おもしろい!)音を立てながらすすり(これは、美味しいしるし)、魚を一口一口食べて、空になりました。 

 続いて、一通り皿全部を見回して、もし食欲に従ったら、四口で全部終わったでしょう。でも、礼儀正しく威厳を保って、きちんと振る舞うことにしました。ご夫人は、私がお箸を上手に使っていると誉めてくれた(余談だが、日本に来たら、お世辞に注意。いつも逆を考えるべきだ! ここでは、何世紀も前から、聖フランシスコ・サレジオの勧めを実行している。「誰かが誉めてくれたら、あなたをだまそうとするか、あるいは、もうすでにだました」のである)。(……)途中で、ご飯のおひつが持ち込まれ、白いお碗によそわれて、その近くにうなぎの載った器が置かれた。これは、日本人の大好物で、尊いお料理です。味付けなし、ただゆでただけのもの。私も、とても好きです。お箸をあやつりながら、ご飯ひとかたまりと魚を一緒に口に運んで飲み込む。私は、ご飯のお代わりもしました。では、パンは……どこにも見当たりません。

 ご夫人は、残ったご飯に熱いお茶を注いで、お茶漬けにするとおっしゃいました。それで、お茶碗もきれいにし、ご飯も一粒も残らないようになります。

 食後、フルーツとしてメロンの半分が出され(日本のメロンは、イタリアのズッコッティ〔小さいカボチャ〕よりちょっと大きいです)、コーヒースプーンで食べました。

 飲み物としては、ビール(ヨーロッパ人が好きだと知っています)そして、キュール用の小さなグラスに、ワインが出されました。

 本当に、ピオヴァの林間学校のスープとポレンタが懐かしくなるね!

 最後に、絵の好きなご主人が戻り、とてもきれいな水彩画のスケッチを見せてくださいました。なお、私がお琴を見たいと言ったら、(日本人にはとても好きな楽器です)、それを持ってきてくれて、お嬢さんが弾いてくれました。お琴は、長さ一・六〜一・八メートル、幅二十センチほどの空箱で、上にはソノメータのように十三本の弦が張られています。音の高さを調整するため、弦の下にいろいろな距離で脚を置き、(音合わせにはかなり時間がかかります!)、指または専用の爪で弦をはじいて、メロディーの分だけを弾きます。音は、私たちのギターに似ています。その音を耳にすると、皆この上なく喜びます。

 夜十一時二十分、家に戻りました。もし、この善良なキリスト者ではない人々が友だちになり、味方にすることができれば、教会にとってとても良いことでしょう。どうか祈ってください。

 今日は、これで十分! これで満足してください、でなければ、本何冊も必要となります。君たちは、確かに素晴らしい者です。しかし、ここの人たちに対する私たちの務めのほうが、より素晴らしい。なお、日本語は、難しくても、君たちより素晴らしいのです。

次の歌を聞いてください。そして、私のフランコ君、もしできるなら、弾いてみてください。
〔訳者注 手紙に歌の楽譜が記載されている。チマッティ資料館に保管され、370番イタリア語、635番日本語〕

1

あれ! あれ! 虹がたっている。森も小山も下に見て
向こうの田から大空の雲まで届く弓のなり。
だれが架けたか虹の橋。

2 さて! さて! 虹は美しい。赤、黄、緑が紫と、
七つの色を並ばせて、空の絵絹へ一筆に。
だれが描いたか虹の橋。
3 さて! さて! 虹がおもしろい。雨の晴れ間にちょっと出て、
用ありそうに天と地の、遠きをつなぐ雲の上。
だれが渡るか虹の橋。
4 あれ! あれ! 虹が消えてゆく。あの鮮やかな色どりも、
次第に薄くなり、小山の方はもう見えぬ。
だれが消すのか虹の橋。

 この言葉をよく黙想してみれば、虹の現象がよく目の前に現れ出てきます。また、言葉を分析してみれば、日本人の魂も観えてくるでしょう。不動で、平然と、心の中のことを少しも表に出さず、それでも考えはするし、問いもする。しかし、残念なことに、神様なしでは答えは出せません。

 ああ、兄弟たちよ、何を言っているか、私にもわかりませんが……ただの綺麗事だけだと思われたくない。私の心の中に、日本人を「自分の魂の喜び」と呼んだザビエルの優しい言葉が響いてきています。

 一人ひとりを抱きしめます。イエス様が、皆、皆、皆を聖化し、特にこの私を聖化してくださいますように。

あなた方のV・チマッティ神父