(34) 日本語の進歩、日本の葬儀、長崎の司教帰天、最初の洗礼、子どもへの褒美

宮崎 1926年9月2日
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ

私の最愛のお父さん、リナルディ神父様

私たちの状況をご理解いただくよう、また良いお勧めとお導きにより勇気づけていただくために、今月のニュースを簡潔に申し上げます。(……)

今月の生活 今、私たちは熱心に日本語を勉強してきて、人がゆっくり話せば、いくらかわかるようになりました。説教は別として、紙を見ないでも少し言葉が言えるのです。しかし、ゆるしの秘跡はまだ授けられません。私たちは、未熟な渋柿です。忍耐をもって時機を待てば、熟するでしょう。少し読めるようになったので、いくらか基礎ができて、自分で少し歩けるようになりました。ご存じのとおり、日本語は語彙が豊富で、思考構造が変わっています。(日本人は、細かいところまで独特の言い回しで考えを表します。)また、カタカナとひらがなの他に、大半が中国から来た漢字、という三種類の文字があります。本は、ほとんど漢字で書かれています(漢字をよく知っている中国の会員たちは、日本語が読めなくても、漢字を見ておおまかな意味がわかるでしょう)。私たちが目下取り組んでいるのは、この漢字です。ローマ字(ローマの文字)で書かれた本は、ないに等しく、漢字を習得しなければ、一般の本は読めないのです。何かがわかるために、最低二千五百字が必要です。(……)

一人の信者さんが亡くなりました(ご主人と四人の子どもがいる立派な方で、家族の中でたった一人の信者でした)。未信者の葬儀について他の手紙でも書いたかもしれません。信者の場合、似たような儀式をします。家までご遺体を迎えに行きません。家族がご遺体を教会へ運び、通常の式が終わると、墓地まで行列が行われます。先頭は長い竹棒の先に旗をかかげる人(未信者の場合、二つの大きなちょうちんも下げます)、次は、花瓶で花を運ぶ人、花輪を持って進む人(花や花輪の数は、家の格を示します)、次は、人力車に乗った司式者(お坊さんなど)が続き、最後に、遺族に取り囲まれたひつぎが来ます。この人たちは白い服を着たり、少なくとも白い被り物をかぶります。そして、ひつぎから出ている白くて長いリボンを手に持ちます。列の最後は、親戚や友人、また好奇心のある人が来ます。大半が話したり、笑ったりしますが、祈る習慣がありません。(……)

八月十八日 健康状態がしばらく心配されていた長崎のコンバーズ司教様が帰天なさったという悲しい知らせが届きました。父親以上に私たちを歓迎し、ご自分の教区で宣教活動へ導き、お勧めやお祈りを通して助けてくださったこの祝福された方のために、皆で祈りを捧げました。私も告別式に参列すべきだと思い、ピアチェンツァ神父と一緒に出かけていきました(タンギー神父は出発の前夜に調子が悪くなった)。この聖なる方は、どれほど周りの人々から尊敬され、愛されていたかを見て、とても感動しました。東京、大阪、ソウルやテグ(韓国)の司教様方をはじめ、宣教師たち、マリア会の長上と会員たち、トラピストの長上や神言会の長上なども参列しました。私にとって、これは貴重な出会いのための機会となり、改めてパリミッションや、邦人司祭たちの素晴らしい働きを見ることができました。神に感謝! 内々にですが、辞任した東京の司教の後、日本人司教が選ばれる、また、長崎教区は二つに分かれて、一つは日本人司教(長崎)、もう一つはパリミッションの司教(福岡)になるだろうという噂が流れています。長崎の司教代理は、長崎のパリミッション宣教事務所担当者、司教秘書ティリー神父が選ばれました。

さて、司教様が亡くなって、私たちの状態はどうなるのでしょうか。現在は、
a 主任司祭がいない状態。私たちがまだゆるしの秘跡を授けられませんので、近くの神父様に臨時に来ていただいています。(……)
b 主任司祭がいつ戻って来るかわからないでいる。少なくとも、戻って来るか来ないか、はっきり知らせてもらえるとありがたいです。(……)
c いつ移転したらよいかわからないでいる。そのこともあって、長崎やバチカン使節と連絡をとり、時期を決めてくださるようにお願いしました。最近の手紙では、無原罪の祝日を提案しましたが、今のところまだ返事がありません。(……)

八月十五日 言うのを忘れたが、先日、被昇天の祝日にあたり、主任司祭が働いた畑で私が収穫して、マリア様のみ手を通してイエス様に熟した麦の束を捧げ、日本で初めてドン・ボスコの子らの手により、一つの家族に洗礼を授けました。この家族は二年にわたり公教要理を勉強し、教会に模範的に通いました。ボンカズ神父は(自分が居合わせない犠牲を払って)、私が洗礼を授けるように望みました。本当に感激して、夢を見るようでした。大きな瀬戸物の店を持っている両親は、前の日曜のミサの前にプロテスタントから改宗し、夕方は条件付きの洗礼を受けました。今日、被昇天の祝日、五人の子ども(男の子四人と女の子一人)に荘厳に洗礼を授けました。両親は、アシジの聖フランシスコ帰天七百周年、宣教活動の記念、ドン・ボスコを称えるため、次の霊名を選びました。娘さんには小さき花の聖テレジア、息子さんたちには、それぞれアシジの聖フランシスコ、ヨハネ・ボスコ、フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・サレジオの霊名をつけました。日付と名と動機をお考えください。被昇天の祝日、ドン・ボスコの生誕日、そして、神の恵みを仲介する道具はドン・ボスコの子らであったこと! この家族は、私たちの事業をまだ知らなくてもドン・ボスコに好感をもち、一人の子のためにその名を望んだ。私は、ここに神様の導きを感じます。(……)

さらにこの日、要理の勉強に通った子どもたちにご褒美を与える慣わしです。やり方はおもしろいです。ご褒美は、お菓子(日本人は、お菓子が大好きです)と文房具です。ご褒美を買うためのお金は、家族の間で集められます。でも、今年は、家族が貧しいため、お菓子を買うために充分なお金が集まらず、私たちが足りない分を出しました。皆とても喜びました。一人ひとりの子に、出席点として何枚かのカードが与えられます。ご褒美の品は、よく見える場所に飾り、お父さんの一人が、ご褒美の品(ランドセル、ノート、鉛筆、紙など)一つを手に取り、大きな声で言います。「これは、○○点です」と。二人以上の子どもが同じものを望んだ場合、せりのように、点数の高い子が勝ちとなります。(……)

以上が今月のニュース。他は、すべて順調で、修練院か神学校に戻ったかのようです。

愛するお父様、どうかすべての長上の皆様と共に、私たちのこともお心に留めていてください。私のほうは、完全に神のみ手の内におります。(……)

サレジオ会員 ヴィンチェンツォ・ チマッティ神父