ヴィンチェンツォ・チマッティ神父年譜目次ページに戻る >> 1933年〜1940年

【02】戦前のチマッティ神父 (2)
1933年〜1940年

Last Update:
2008-06-05
No 分類 和暦 西暦 期間  
232 7 昭和8年 1933 1 9   中津教会からマリア長舟タキが救護院を世話するために宮崎へ移る
233 1 昭和8年 1933 1 12   東京の三河島教会へ進出。ピアチェンツァ神父が院長と主任司祭
234 8 昭和8年 1933 1 12   東京でジャン・アレクシス・シャンボン(Jan Alexis Chambon)が司教に就任
235 7 昭和8年 1933 1 12   宮崎救護院に最初の身寄りのない年寄りが入る
236 8 昭和8年 1933 3 8 〜3.12 宮崎で早坂司教が教会の四旬節の黙想会を指導する
237 7 昭和8年 1933 4 1   宮崎の明星幼稚園がサレジアン・シスターズの所有となる
238 1 昭和8年 1933 5 24   宮崎小神学校の起工式
239 7 昭和8年 1933 7 15   宮崎救護院に幼児・幼年部が始まる
240 1 昭和8年 1933 8 20   神学生Filippa, Arri, Bechis, Mukaiも香港の神学校へ
241 7 昭和8年 1933 10 10   カヴォリ神父、救護院の募金のためにイタリアへ出発
242 1 昭和8年 1933 11 4   中津の小神学生は宮崎小神学校へ移転する
243 1 昭和8年 1933 11 11   高鍋から神学校も宮崎の小神学校へ移転
244 3 昭和8年 1933 11 12   神学生Albino Margevicius, A.Martelli, A.Roncato, G.Broccardo等来日
245 8 昭和8年 1933 12     パオロ・マレラ(Paolo Marella)大司教はローマ法王庁使節となる
246              
247 1 昭和9年 1934 1 26   マルジャリア神父、米国から戻る
248 1 昭和9年 1934 1 28   宮崎小神学校の公の落成式
249 1 昭和9年 1934 1 28   東京で職業学校のための土地の購入
250 1 昭和9年 1934 4 1   ローマで復活祭に際してドン・ボスコ列聖される
251 0 昭和9年 1934 4 1   宮崎小神学校で、マレラ大司教参列でドン・ボスコの列聖を祝う。続いて、東京の関口大聖堂(カテドラル)でも祝う
               
253 2 昭和9年 1934 9   〜10月 チマッティ,マルジャリア神父、満州、北朝鮮、韓国でコンサート
254 9 昭和9年 1934 9   〜10月 奄美大島や鹿児島で、フランシスコ会の外人宣教師排斥の運動
255 1 昭和9年 1934 12 8   東京の職業学校「帝都育英工芸学校」にサレジオ会員が入る
256 1 昭和9年 1934 12 8   ドン・ボスコ社も大分から練馬に移転
257 1 昭和9年 1934 12 12   神学生、宮崎小神学校から教会近くの借家に移る
258              
259 3 昭和10年 1935 1 11   神学生F.Barbaro, G.Dalkmann, G.Lopez, T.Manhard, G.Mantegazza, Fr.Dupont等、修道士O.Masiero等が来日
260 1 昭和10年 1935 1 11   イタリアから、16本の鐘(チューブ)が着く(5本資料館に保存)
261 0 昭和10年 1935 1 28   宮崎・大分宣教区は「知牧区」に昇格。チマッティ神父初代教区長
イタリアの教え子たちが贈った司教の衣装を送り返す
262 1 昭和10年 1935 1 31   東京の職業学校の祝別式
263 0 昭和10年 1935 2 5   チマッティ神父、教区長の任命書を受け取る
264 0 昭和10年 1935 2 12   Grigoletto神父から、ボルカ(Bolca,ヴェローナ)の化石が届く
265 1 昭和10年 1935 4 1   職業学校の荘厳な落成式
266 7 昭和10年 1935 4 12   カヴォリ神父がイタリアから戻る。救護院の2期工事始まる
267 1 昭和10年 1935 4 20   大分では新聖堂の落成式
268 8 昭和10年 1935 4 25   全国教区長会議、神社参拝が宗教行為ではないことを受け入れる
269 1 昭和10年 1935 6 4   河島教会のピアチェンツァ神父帰天。チマッティ神父が伝記を書く
270 1 昭和10年 1935 6 4   エスクルセール神父、三河島教会の主任司祭に
271 0 昭和10年 1935 6 4   チマッティ神父、神学校院長を務め、都城、田野、高鍋教会を世話する
272 7 昭和10年 1935 9 14   インドから扶助者聖母会の管区長Sr.Tullia Coglioloの視察
273 7 昭和10年 1935 9 29   救護院の2期工事完成。荘厳な落成式
274 7 昭和10年 1935 9 29   チマッティ神父、Bollettino Salesianoに“Carita! Carita! Carita!”という詳しい記事を書く
275 1 昭和10年 1935 11 21   宮崎から神学生が東京の練馬区に移る
276 3 昭和10年 1935 12 16   司祭G.Rodriguez,神学生 G.Manganelli, A.Moriggia, G.Perego, Fr.Rossi等, 修道士G.Ferrari, St.Paulinが来日
277 4 昭和10年 1935 12 27   初の邦人修練者、秋元保夫マルティノ、立石此吉ミカエル、西村四帰児ヨハネが来日した神学生とも一緒に修練期を始める
278              
279 1 昭和11年 1936 4     東京練馬にいる神学生、東京大神学校へ通うようになる
280 1 昭和11年 1936 7     香港の神学校で勉強した神学生Tassinari, Bernardi, Braggion、そしてFilippa, Arri, Mukaiが日本に戻る。その他はイタリアに帰国
281 1 昭和11年 1936 9     有名なマテオ神父が練馬で黙想会を指導する
282 5 昭和11年 1936 12 8   宮崎教会でTassinari, Bernardi, Braggionが叙階される
283 3 昭和11年 1936 12 22   司祭F.Bovio, G.Figura, U.Romani,Fr.Erdo、神学生 N.Caldiroli, A.Crevacore, L.Del Col, M.Lorenzi, Gallo,V.Scrazzolo, M.Curran, Fr.Drohan、修道士St.Beallesio, C.Camnasio, G.Forner, G,Nagy来日
284 4 昭和11年 1936 12 29   最初の邦人会員秋元保夫マルティノ、立石此吉ミカエル、西村四帰児ヨハネ、またG.Manganelli, A.Moriggia, G.Perego, Fr.Rossが誓願式
285 1 昭和11年 1936       この一年、延岡駅の近くに教会用地を購入
286 7 昭和11年 1936 12 29   カヴォリ神父に邦人女子修道会を考えるよう指示する
287 2 昭和11年 1936 12 29   “PLANTARUM COLLECTIO” 『宮崎県植物自然分類一覧』を出版
288              
289 5 昭和12年 1937 1 6   宮崎でArri, Feliciの叙階式
290 0 昭和12年 1937 3 3   チマッティ神父は宮崎小神学校院長も兼ねることになる
291 2 昭和12年 1937 5     ドン・ボスコ社、『ドン・ボスコ・フォン』を出版、最初で最後。チマッティ神父が伴奏、マルジャリア神父は3曲を歌う
292 9 昭和12年 1937 7 7   日華事変始まる
293 1 昭和12年 1937 7 15   本部からCandela, Berutti両神父が視察に来日
294 7 昭和12年 1937 8 15   宮崎カリタス修道女会誕生
295 6 昭和12年 1937 8 15   沼津でフィリッパ神学生水死。チマッティ神父はその伝記を書く
296 7 昭和12年 1937 8 22   宮崎教会で5人のシスター志願者が着衣式
297 7 昭和12年 1937 8 29   その5人は福岡で修練期始める
298 9 昭和12年 1937 9 23   日本の同盟国イタリアから、ファシストの親善視察団が来日。1938年5月までいろいろなコンサートや行事が行われる
299 5 昭和12年 1937 11 7   長崎でパウロ山口愛次郎司教の叙階式
300 3 昭和12年 1937 11 22   神学生A.Castiglioni, A.Colussi, St.Dell’Angela, D.Fortuna, M.Moskwa,N.Pisarski等、修道士G.Rossoが来日
301 1 昭和12年 1937 12 2   サレジオ会日本管区が誕生。チマッティ神父は初代管区長
302 9 昭和12年 1937 12 9   南京事件
303 8 昭和12年 1937 12 9   ペトロ土井辰雄が東京大司教に
304 4 昭和12年 1937 12 29   神学生 牧政治、N.Caldiroli, A.Crevacore, L.Del Col, M.Lorenzi, E.Gallo, V.Scrazzolo,修道士 松岡勇の誓願式
305 2 昭和12年 1937 12 29   マレガ神父イタリア語訳『古事記』本国で出版
306              
307 0 昭和13年 1938 1 29   初代管区長の任命書が届く
308 7 昭和13年 1938 1 31   カヴォリ神父、カリタス修道女会の会憲案をチマッティ神父に提出
309 2 昭和13年 1938 2 13   チマッティ神父、土井大司教の叙階式に参加、作曲する
310 1 昭和13年 1938 3 29   神戸で、日本サレジオ管区最初の管区会議が開催される
311 2 昭和13年 1938 5     天皇陛下に『宮崎県植物自然分類一覧』を献上。海藻標本10枚賜る
312 0 昭和13年 1938 5 23   総会のため南アジア周り舟でイタリアへ。タンギー神父、管区代表者として同行、日本に帰らず。タシナリ神父、宮崎小神学校院長代行。イタリア滞在中、120回ほど講演する
313 0 昭和13年 1938 8 3   教皇ピオ11世から謁見を受ける
314 0 昭和13年 1938 10 9   トリノの扶助者聖母大聖堂で宣教師派遣式の説教をする
315 7 昭和13年 1938 11 20   マリア・ドミニカ・マザレロ列福される
316 0 昭和13年 1938 12 7   ヴェネチアから日本に向かう
317              
318 2 昭和14年 1939       ※本年中、オペラ『細川ガラシア』、ソナタ『国の肇を讃えて』を作曲
319 3 昭和14年 1939 1 3   南アジア周りで、司祭G.Baratto. C.Demleitner, P.Frantzenと共に到着
320 8 昭和14年 1939 2 10   教皇ピオ11世帰天
321 8 昭和14年 1939 3 2   教皇ピオ12世選ばれる。1958年まで
322 5 昭和14年 1939 3 19   宮崎小神学校出身の最初の邦人司祭ペトロ向井神父が誕生し、田野教会の主任になる
323 5 昭和14年 1939 3 21   東京でDal Fiorが叙階される
324 8 昭和14年 1939 3 21   新しい宗教法が決まる
325 3 昭和14年 1939 4 19   Escursel神父が帰国
326 7 昭和14年 1939 4 24   サレジアン・シスターズが三河島教会で事業を始める
327 5 昭和14年 1939 6 29   Dupontが叙階される。三河島教会へ
328 7 昭和14年 1939 8 16   サレジアン・シスターズは宮崎を去る
329 3 昭和14年 1939 12 27   学生F.Acerbi, G.Petracco, C.Secchi, M.Antolini 修道士G.Maestro, St.Romelliが来日。Cor.Martelli神学生は1月1日に着く
330              
331 2 昭和15年 1940 1 3   正午、宮崎NHK放送局からピアノ・ソナタ紀元2600年『国の肇を讃えて』を生で全国に放送する
332 2 昭和15年 1940 1 24   日比谷公会堂で劇ドラマ『細川ガラシア』が上演される
333 1 昭和15年 1940 1 24   サレジオ会日本管区は「宗教社団」として認可される
334 4 昭和15年 1940 3 31   タシナリ神父は東京で修練長になる
山口哲郎、恵美漸吉、松尾栄一郎、岩下虎吉、金本三大二等が修練者に
335 2 昭和15年 1940 5 21 〜5.23 大阪朝日会館ホールで3回『細川ガラシア』が上演される
336 9 昭和15年 1940 6 10   イタリア参戦
337 2 昭和15年 1940 8 27   カトリック要理教授法研究会を各事業で開催。記念の歌も作曲
338 9 昭和15年 1940 9 4   新宗教法が施行され、外国人は指導立場にあってはならない、と
339 0 昭和15年 1940 10 16   チマッティ神父、皆に先立って教区長の辞職願いを提出
340 8 昭和15年 1940 11 11   チマッティ神父の辞職願が土井大司教に受理される
341 2 昭和15年 1940 11 11   宮崎「八紘一宇の塔」(現在の平和の塔)落成式のためピアノ作曲
342 8 昭和15年 1940 11 28   鹿児島のフランシスコ出口一太郎、宮崎教区長代行に任命される
343 7 昭和15年 1940 12 14   三河島でサレジアン・シスターズの幼稚園落成
344 0 昭和15年 1940 12 27 〜12.30 練馬の神学校で黙想会の指導。土着化を課題とする
345              

| ↑このページの先頭へ |

ヴィンチェンツォ・チマッティ神父年譜目次ページに戻る >> 1933年〜1940年