教会建設・運営
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・ 1926年2月、チマッティ神父一行は門司港から初めて日本の地を踏みました。 |
・1928年、宮崎県と大分県は独立宣教地区として認められ、 |
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・1933年、東京へ進出し三河島教会を引き受けた後、1935年、東京 ・1937年、サレジオ会日本管区が設立され、チマッティ神父が初代 |
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社会福祉事業
・1930年、若い神学生9人と、サレジアン・シスターズ(現在扶助者聖母会日本管区)6人が来日した。
・1933年、見放された年寄りや孤児たちのために宮崎で「救護院」という事業が設立された。
・この事業を維持するため、また発展させるために、1937年、邦人の修道女会「宮崎カリタス修道女会」(現在のイエスのカリタス修道女会)の創立を
同サレジオ会員のCavoli神父に指示した。
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・1946年、戦災孤児救済のために中津ドン・ボスコ学園を設立。現在、児童養護施設 聖ヨゼフ寮に引き継がれている。
・1946年、東京都練馬区高松町の旧陸軍成増飛行場の兵舎を利用して、タシナリ神父が開設。翌年、東京都小平市の現在地に移転。 |
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出版事業
・1928年、機関紙「ドン・ボスコ」創刊。後に「からしだね」そして「カトリック生活」となる。
・1930年、大分で ドン・ボスコ社 が始まる。1935年、東京都練馬区に出版事業の本部を移転。
・1930年、ドン・ボスコ社の最初の本格的な出版物「我主イエズス・キリストの聖福音」を出版。 |
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教育事業
・1930年、中津で小神学校が始まる。1933年、邦人司祭を養成することは急務だと考え、宮崎で小神学校(戦後の日向学院)を設立した。 |
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・1931年、宮崎明星幼稚園設立。同年、大分に印刷学校(職業訓練学校)設立。
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