SAVINI番号 音楽様式 作曲年 作品名 作詞者 声の編成 冒頭歌詞 備考
701 日本を歌う Canto sul Giappone 1943年 『ふるさとはるばる』 CORO DEI  PELLEGRINI オペレッタLA CROCE SUL COLLEから   C.Tassinari 混声4部合唱とピアノ ふるさとはるばる La Croce sul colle というオペレッタに含まれている歌
702 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『うちの子ねこ』    IL  GATTINO  DI  CASA  MIA    小学校教科書 一声とピアノ うちのこねこはかわいいこねこ 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
703 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『しいの実とかしの木』    LA  GHIANDA  E LA  QUERCIA   小学校教科書 一声とピアノ おもうぞんぶんはびこったやまのふもとの 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
704 自然を歌う Canto sulla natura 1935年頃 『白ゆり』     IL  BIANCO GIGLIO      一声 ひるひのなみのつゆをおび 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した
705 校歌 Inno scolastico 1956年頃 『よろこび』  サレジオ学園10周年 LA GIOIA 10mo anniversario dell'Orfanotrofio Salesiano    一声とピアノ  みどりのもりのしろいとうとあざみ 小平サレジオ学園10周年のため
706 主の歌 Canto al Signore 1942年頃 『いとたかきところ主のさかえ』   GLORIA AL SIGNORE (DONACI  LA  PACE)   バリトンとソプラノソロとオルガン いとたかきところ 栄唱の言葉である。自筆の第一節はひらがなで書いてあるのは、憲兵の検閲のためだと思われる
707 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『だいにっぽん』 (T)     IL  GRANDE  GIAPPONE    小学校教科書 一声 だいにっぽんだいにっぽん 来日はじめ頃の作曲。尋常小学校の第五の本から、と書いてある
708   30 欠番        
709 聖書の言葉 Parole della Scrittura 1935年頃 『はじめに光あれと』  ALL'INIZIO  SIA LA  LUCE 創世記1.3 一声とオルガン はじめにひかりあれと 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した
710 自然を歌う Canto sulla natura 1926年3月 『ごらんなさいありの目』  GUARDA  L'OCCHIO  DELLA  FORMICA      一声とピアノ  ごらんなさいありのめをなんときれいな この歌は、子供のための最初の歌の一つである。ピエモンテ方便の「Che bel buchin ca la 'l furmigin」の日本語訳である
711 音楽劇 Operetta 1942年5月 『ジャガタラ・富士山を見て』  GUARDANDO IL M. FUJI(712番、727番、734番、745番と合わせる)       Heuvers テノール・ソロとピアノ あめつちのわかれしとき 東京から、当時、富士山がよく見えていた。原本が残っている
712 音楽劇 Operetta 1942年5月21日 『ジャガタラ・星を仰ぎて』  GUARDANDO  LE  STELLE(711番、727番、734番、745番と合わせる)   Heuvers 3部合唱とピアノ くろびろーどのおおぞらに 『ジャガタラ』のオペレッタの一部。インドネシアのジャカルタに追放されたキリシタンの娘たちを歌う。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたため、カタカナで書いた
713 日本を歌う Canto sul Giappone 1942年10月31日 『勇士たちよ力強く進め』 (戦場に赴く歌)   GUERRIERO  VA  AVANTI  INTREPIDO     一声とピアノ きょうよりはかぎりなくて カタカナで書いた原文がある。神学生が徴兵された時の見送りの歌
714 たのしい歌 Canti allegri 1947年頃 『ふたつの椅子をならべた』      HO  ALLINEATO  DUE  SEDIE      一声とピアノ ふたつのいすをならべたが 自筆から見て、戦後のものと思われる
715 子供の歌・童謡 Canto per bambini 1956年頃 『母をたずねて』     IN CERCA  DELLA  MAMMA    大森平夫 一声 ははをたずねてはるばると 目黒星美学園のために作ったようである
716 町や団体の歌 Inno per citta`o gruppo 1934年10月 『フシュンの青年の歌』   INNO  DEI  GIOVANI  DI  FUSHUN  (MANCIURIA)      一声とピアノ たんとうふしゅんにおいたちし 旧満州に招かれていくつものコンサートをやったとき
717 町や団体の歌 Inno per citta`o gruppo 1932年1月29日 『高鍋の歌』     INNO DELLA  CITTA'  DI  TAKANABE     一声 きみしるや 高鍋の神学校時代のもの
718 校歌 Inno scolastico 1955年頃 『明星学園校歌』   INNO  PER  LA  SCUOLA   MYOJO  DI  BEPPU   シスター岩本 一声 つるみがみねのさくらばなに サレジアン・シスターズの学校のため
719 校歌 Inno scolastico 1949年5月21日東京 『中津ドン・ボスコ学園の歌』 (養成院)  INNO DI NAKATSU ORFANOTROFIO     一声とピアノ はるはさくらのおおさだをしたにながむる 大貞公園に移った養護施設の歌
720 校歌 Inno scolastico 1950年1月15日 『大貞学園の歌』   INNO OSADA KOEN DON  BOSCO  GAKUEN     一声 みなみのくにのおかのうえ ドン・ボスコ学園の校歌
721 校歌 Inno scolastico 1934年 『都城の学校の歌』    INNO PER  LA  SCUOLA  DI  MIYAKONOJO      一声とピアノ あおげばたかき この頃、都城で何回もコンサートを開催した
722 校歌 Inno scolastico 1946年 『日向学院の歌』    INNO  DELLA  SCUOLA  HYUGA  GAKUIN    赤波江愛次郎 一声とピアノ あけゆくくにと 戦後、宮崎の小神学校の敷地に「日向学院」が設立され、チマッティ神父はその初代校長となり、校歌を作曲した
723 自然を歌う Canto sulla natura 1949年頃 『砧』(キヌタ)』   KINUTA - LA MAZZA DI LEGNO     一声とピアノ きぬたおとせば 日本の短い詩を作曲している。宮崎の教区長、小神学校の院長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した
724 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『からまつ』   記念の木 IL  LARICE  L'albero commemorativo     一声とピアノ むらのがっこうのげんかんの 尋常小学校の教科書の詩を作曲したもの
725 自然を歌う Canto sulla natura 1926年 『ひめ松、小松』 CANZONE DEI PINI   一声 ひめまつこまつ、みどりをひろませはるごとに 自筆がある。来日のときAmerio神学生に贈ったものである。裏面に「さくら」が書いてある
726 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『デンデンムシ』   LA  LUMACA    小学校教科書 一声とピアノ でんでんむしかたつむりかたつむり 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
727 音楽劇 Operetta 1942年5月21日 『ジャガタラ・ジャガタラの月』 LA LUNA DI JAGATARA(711番、712番、734番、745番と合わせる)   Heuvers カンタータ テノールソロとピアノ ほしはみだれとぶ 『ジャガタラ』のオペレッタの一部。インドネシアのジャカルタに追放されたキリシタンの娘たちを歌う。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたため、カタカナで書いた
728 自然を歌う Canto sulla natura 1953年1月21日 『ながき秋の日』     LUNGO  GIORNO  D'AUTUNNO    石元博 一声とピアノ ながきあきのひ 当時 作詞者は神学生だった
729 たのしい歌 Canti allegri 1948年頃 『奥さん』   LA  MOGLIE  FELICE       コントラルト・ソロとピアノ ぐっともーにんぐ もーにんぐ 帰国後、アメリカ周りで日本に戻った時に作曲したと思われる
730 行事のための歌 Canto d`occasione 1949年12月8日東京  『母よ、共に終りの日まで』    MAMMA,  INSIEME  FINO  ALL'ULTIMO  GIORNO      一声とピアノ きびしきさむさおそえでも 管区長職を退いてからの歌
731 自然を歌う Canto sulla natura 1942年頃 『ケキョ、ケキョ』  IL VERSO DELL'USIGNOLO   一声とピアノ ケキョ、ケホ、はばたく カタカナで書いた原文がある。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたからである。オペレッタの一部と思われる
732 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『わたくしのうち』    LA  MIA  CASA    小学校教科書 一声 もえるきのめにはるかぜふけば 来日の時の教科書の歌詞と思われる
733 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『富士の山』   IL MONTE  FUJI    小学校教科書 テノール・ソロとピアノ あたまをくものうえにだし 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
734 音楽劇 Operetta 1942年12月5日 『ジャガタラ・奈良の都』  NARA SPLENDIDA CITTA' (711番、712番、727、745番と合わせる)    Heuvers テノール・ソロとピアノ あおによしならのみやこは カタカナで書いた原文がある。三河島教会で憲兵に監視されていたためである
735 自然を歌う Canto sulla natura 1949年6月21日宮崎  『山のあなたの空』   NEL  CIELO  DELLA  TUA  MONNTAGNA      一声とピアノ やまのあなたのそらとおく 日向学院校長職を退いた後
736 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『雪』    LA  NEVE    小学校教科書 一声とピアノ ふるふるゆきがまっしろなゆきが 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
737 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『雪どけ道』     LA  NEVE  SI  SCIOGLIE  NELLA  STRADA    小学校教科書 一声とピアノ ゆきどけみちのぬかるみを 尋常小学校の教科書の詩を作曲したもの
738 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『ねんねんころりよ』  (T)  NINNA  NANNA    小学校教科書 一声とピアノ ねんねんころりよおころりよ 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
739 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『ねんねんころりよ』  (U)  NINNA  NANNA    I. Savini編曲 小学校教科書 ソプラノ・ソロとピアノ  ねんねんころりよ 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
740 子供の歌・童謡 Canto per bambini 1935年頃 『ねんねんころりよ』  (V)  LENTO  DI  NINNA  NANNA  未完成   未完成 かるいこくきのことりのもりに 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した はじめの歌詞だけが書いてある
741 行事のための歌 Canto d`occasione 1928年 『万歳、万歳』  VIVA  VIVA,  PADRE VILLION  ビリオン神父のため      一声 ばんざい! ばんざい! ビリオンしんぷ パリ・ミッションのVillion Amatus神父85歳の祝いに。当時京都にいた。この番号にあった曲は、オペレッタ『支倉六衛門』に属するものだと思われる
742 日本を歌う Canto sul Giappone 1942年以降 『わが国の兵士』    I NOSTRI  SOLDATI      一声とピアノ わがくにのへいしのゆうきをみよう 原文の字が直筆ではない。戦時中の歌。懲役された神学生を送るためであろう
743 たのしい歌 Canti allegri 1937年 『わしらのおやじ』    IL NOSTRO  PAPA'      2部合唱 わしらのぼんおやじよ 宮崎小神学校で歌ったと思われる。原文はない
744 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『冬の夜』    NOTTE  D'INVERNO    小学校教科書 一声 ともしびちかくきぬぬるははは 日本の短い詩を作曲している
745 音楽劇 Operetta 1942年5月20日 『ジャガタラ・ジャガタラの娘』  O FIGLIA  DI  JAGATARA(711番、712番、727番と合わせる)  Heuvers ソプラノ・ソロとピアノ あはれじゃがたらおとめごは 『ジャガタラ』のオペレッタの一部。インドネシアのジャカルタに追放されたキリシタンの娘たちを歌う。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたため、カタカナで書いた
746 自然を歌う Canto sulla natura 1935年前後? 『あさごとに』    OGNI  MATTINA      一声とピアノ あさごとにむこうかがみのくもりなく 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した
747 音楽劇 Operetta 1942年 『ジャガタラ』 JAGATARA 新しいオペレッタ 711番、712番、725番、727番、734番、745番からなっている   Heuvers     1942年7月総会長の手紙の中に「ただいま、この時代に合ったオペレッタ・ジャガタラを準備しています」と書いてある。ジャガタラとは、キリシタンが追放された現在のジャカルタのこと。ここに揚げている局はこのオペレッタに属すると思われる。Librettoはない
748 自然を歌う Canto sulla natura 1928年頃 『とうときひかり 日暮れ』    O  SANTA  LUCE Il tramonto del sole     ソロと二部合唱 のはさとはたそがれふじ 歌詞の出展は不明
749 自然を歌う Canto sulla natura 1949年頃 『なつかしの夕べ』     O  SERA  INDIMENTICABILE   Serenata     セレナーデ 一声とピアノ おかにゆうひのしずむころ 宮崎の教区長、神学校の院長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した
750 日本を歌う Canto sul Giappone 1942年 『日の出の国』  Il paese del sol levante N 23『支倉六衛門』HASEKURA に属する     一声とピアノ ひのでのくにに にほんのおさむらい カタカナで書いた。戦時中、三河島教会の主任司祭だったとき。オペレッタの一部と思われる
751 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『遠足の歌』 鳴くひばり   PASSEGGIATA Cinguetta l'allodola  673参照    小学校教科書 一声とピアノ    なくはひばりのこえ 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
752 日本を歌う Canto sul Giappone 1942年 『天正の御代にローマに遣わされた使者を偲ぶ』    LA  PRIMA  AMBASCIATA  A  ROMA   木下杢太郎 カンタータ 複数のためとピアノ かぎりもしらぬわだつみのふところに 天正使節団のことを歌っている。1942年10月25日はじめて宮崎小神学校でで上演された。1949年印刷Sれた
753 行事のための歌 Canto d`occasione 1935年頃 『この日この空』     QUESTO  SOLE, QUESTO  CIELO      一声とピアノ このひこのそらこのひかり 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した
754 行事のための歌 Canto d`occasione 1949年12月9日大阪 『思い出』   RICORDO      一声とピアノ ゆきどけつとめのたきみずは 大阪星光学院の落成に際して作曲されたものである
755 行事のための歌 Canto d`occasione 1949年頃 『あこがれて』     RIMPIANTO      一声とピアノ あこがれてきみとたどれば 管区長職などを退いたときの気持ちを歌うと思われる
756 子供の歌・童謡 Canto per bambini 1935年前後? 『サンタクロース』   SANTA CLAUS     BABBO  NATALE      一声とピアノ きけおきけよあれにひびくかねのこえ 子供たちのためのクリスマスの歌
757 行事のための歌 Canto d`occasione 1949年頃 『清き恋』(きよきこい)    SANTO  AMORE      一声とピアノ かえりゆくきみのせにしらゆきよ 日本の短い詩を作曲している
758 校歌 Inno scolastico 1935年9月29日 『宮崎救護院の歌』  CANTO DELL'ORFANOTROFIO DI MIAZAKI 甲斐愛子 一声とピアノ うきよのたびに 宮崎の救護院の落成式のため
759 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『サルとカニ』   LA  SCIMMIA  E  IL  GRANCHIO   小学校教科書 一声とピアノ さるとかにとがあそぶとき 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの
760 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『むぎまき』    LA  SEMINA    小学校教科書 一声とピアノ ならやくぬぎのははきにそまり 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲した
761 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『我は海の子』    NOI  SIAM  FIGLI  DEL  MARE    小学校教科書 一声とピアノ われはうみのこしらなみの 尋常小学校の教科書の詩を作曲したもの
762 行事のための歌 Canto d`occasione 1938年頃 『幸あれマエストロ』     SII  FELICE  MAESTRO     一声とピアノ さちあれまえすとろもろびとは Bovio神父は修練長=Maestroとなって、その霊名Felice=幸いのために歌われた。しかし、より古い作曲であった
763 自然を歌う Canto sulla natura 1933年 『真珠の夢』    IL  SOGNO  DELLE  PERLE   松岡誠人 一声とピアノ しんじゅのゆめはあおいゆめ 『声』誌1933年10月号に載った歌
764 子供のための聖歌 Lode sacra per bambini 1935年 『日がくれた』  (夜の祈り)   IL SOLE E'  TRAMONTATO      一声とピアノ ひがくれたひがくれたおねんねしましょう 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した
765 校歌 Inno scolastico 1948年12月8日 『おひさまわらう』 (東京サレジオ学園の歌)   IL SOLE  SORRIDE,  BUON  GIORNO   恵美漸吉 一声 おひさまわらうおはようと 国分寺サレジオ学園の落成式にために作曲された
766 自然を歌う Canto sulla natura 1941年頃 『大空に照り映ゆる』  SPLENDE  NEL  FIRMAMENTO   Cl.Tassinari 一声 あまぞらにてりはゆる タシナリ神父著演劇『チカトラ』のために作曲した。チマッティ神父は古いギターでその伴奏を弾いた
767 自然を歌う Canto sulla natura 1932年 『うなばらはそらといだけり』   LA SUPERFICIE DEL  MARE  TOCCA  IL  CIELO      テノールソロとピアノ うなばらはそらといだけりそのはてに 自筆からこの時代のものと判断する
768 校歌 Inno scolastico 1953年 『東京サレジオ学園園歌』     TRA  I  CAMPI  DI MUSASHINO    山口哲郎 一声とピアノ むさしののべのみどりに 国分寺サレジオ学園のため
769 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年 『ゆうやけこやけ』    TRAMONTO    小学校教科書 2部合唱とピアノ ゆうやけこやけあしたてんきになれ 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲した
770   30 欠番        
771 カンタータ Cantata 1944年12月8日 『たたえよ母』  TRITTICO MARIANO Luigi Del Col 3楽章からなるカンタータ めでたしやあめのきさきよ N.784『国の肇を讃たえて』のピアノソナータで神話を作曲したことを批判する人がいたので、それをマリアの歌に編曲した
772 子供の歌・童謡 Canto per bambini 1926年 『馬太郎』     UMATARO      一声 そらがすむようなやまおくに 来日の時の教科書の歌詞と思われる
773 自然を歌う Canto sulla natura 1927年頃 『青空を白雲わたる』   UNA BIANCA NUVOLA SOLCA IL CIELO AZZURRO      一声 あおぞらしろくもわたる 来日したはじめごろ作曲したと思われる
774 自然を歌う Canto sulla natura 1926年 『うぐいす』    L'USIGNOLO      バイオリンでも弾けると 歌詞無し うぐいすの鳴き声を真似する
775 たのしい歌 Canti allegri 1948年頃 『ニューヨークの花売り娘』  LA VENDITRICE DI FIORI DI NEW YORK      ソプラノ・ソロとピアノ しゃんでりあのしたにさしてあるわたしのうた 戦後帰国した時アメリカ経由だったので、このような課題があると思われる
776 自然を歌う Canto sulla natura 1932年 『のきばをたたくあまだれのかぜ』 IL VENTO CHE BATTE ALLA GRONDAIA      同声3部合唱とピアノ のきばをたたくあまだれのかぜもつめたく 高鍋の神学校時代のものと思われる
777 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare 1926年頃 『松風』 初夏の夜 IL VENTO DEL PINO     一声とピアノ なわてづたいにくるかぜも 来日した頃のものと思われる。原文のコピーは見当たらない
778 舟歌 Barcarola 1949年頃 『そよふく風』  (船歌)  IL VENTO SOFFIA LEGGERO  449イタリア語   同声3部合唱 そよふくかぜかくうとう 戦後イタリアからアメリカ経由で帰国した後の作曲と思われる。美しい歌である 449番イタリア語
779 町や団体の歌 Inno per citta`o gruppo 1950年代 『たまがわの里』    IL VILLAGGIO DEL  FIUME TAMAGAWA     一声とピアノ  あきかぜのおとだに 調布時代に違いない
780 主の歌 Canto al Signore 1949年頃 『君よ!』   TU  VITTIMA DELLA CROCE      一声とピアノ きみはじゅうじかいけにえを 自筆からは、この時代のものと判断する
781 行事のための歌 Canto d`occasione 1937年頃 『チマッチ校長に献ぐ』  VIVA IL NOSTRO PRESIDE  DON  CIMATTI      2部合唱 なにしおうひじりのみあと 宮崎小神学校時代の作曲。チマッティ神父の直筆はない
782 自然を歌う Canto sulla natura 1942年頃? 『ゆく、つばめ』  VOLA O RONDINE      一声とピアノ いだいなるたいようのもとにのびよう 日曜学校の別れの歌、と鉛筆書きがある。三河島の時代か?
783 器楽曲 Musica strumentale 1941年 『1.日本組曲 2.伊太利風円舞曲』 日伊若人親善 FANTASIA GIAPPONESE   ピアノのため   印刷額「日伊若人親善」(1941年)という曲集より。
784 器楽曲 Musica strumentale 1939年 『国の肇を讃えて』 ORIGINE DELL‘IMPERO@天孫降臨 A御東征 B御即位 3部ピアノ・ソナタ   ピアノのため   日本建国2600年のピアノ・ソナタ。1月3日12時5分より、チマッティ神父自身がピアノを弾いて宮崎NHK放送局から全国に放送された
785 器楽曲 Musica strumentale 1940年3月 『宮崎八紘台の落成式のためのソナタ』 SONATA INAUGURAZIONE HAKKODAI DI MIYAZAKI   ピアノのため   宮崎に建てられた「八紘一宇」(今の「平和台」)の落成のため、宮崎市に頼まれて作曲したもの
786 器楽曲 Musica strumentale 1926年2月7日船上 『PENSIERO』  思い  ピアノ曲   ピアノのため   日本へ運んだ船“FULDA"上で作曲。Amerio神父に送る
787 器楽曲 Musica strumentale 1940年 『御降誕オルガン小曲集』 5 BREVI PRELUDI NATALIZI per ORGANO 850番と853参照   オルガンのため   五つの短い曲の他に、当時の聖歌集23番、29番、33番、35番、39番、36番、219番、220番の伴奏が含まれて印刷されている。なお、850番と853には第二集と第三集がある。これらは、別府教会でArri神父により出版された
788 音楽関係の著作 Scritti sulla musica 1900年 『ELEMENTI  DI  ARMONIA  PRATICA』 10 pag. 和声の実践 自筆は資料館にある)       勉強や授業のための原稿か。直筆である。自筆の原本はローマの本部にある
789 音楽関係の著作 Scritti sulla musica 1950年以前 『GENERELITA'  DI  ARMONIA』  和声一般  (自筆は資料館にある)       勉強や授業のための原稿。直筆である。使用している紙切れからみて、日本で戦時中か戦後かに書いたもの
790 音楽関係の著作 Scritti sulla musica 1950年以前 『GRAMMATICA  O MORFOLOGIA  MUSICALE』 19 pag. 音楽形態論 (自筆は資料館にある)       勉強や授業のための原稿。直筆である。使用している紙切れからみて、日本で戦時中か戦後かに書いたもの
791 音楽関係の著作 Scritti sulla musica 1900年 『LEZIONI  MUSICA E CANTO CORALE scuole normali』 28 Pag.普通化のための音楽と合唱の授業       勉強の記録か授業のための原稿か。直筆である。自筆はローマの本部にある
792 音楽関係の著作 Scritti sulla musica 1950年以前 『NOZIONI  ELEMENTARI  DI  ARMONIA』  174 pag. 和声の基本概念 (資料館の2階)       勉強や授業のための原稿。直筆である。使用している紙切れからみて、日本で戦時中に書いたもの
793 音楽関係の著作 Scritti sulla musica 1898年6月28日 『PROGRAMMI DI CANTO PER SCUOLE NORMALI』 師範学校の歌のプログラム(資料館2階)         Valasaliceで教えていたときの原稿。直筆である。原本はローマの本部にある
794 台本 Libretto teatrale 1942年 BUSTASEIDE ブスタセイデ  ⇒ 13番 L.Del Col     オペレッタの台本。音楽と同じところに移された
795 台本 Libretto teatrale 1950年 L'ASSEDIO DI AUGUSTA  ⇒ 2番 L.Del Col      
796 台本 Libretto teatrale 1954年 愛のともし火は消えず LA CARITA` NON VIENE MENO ⇒ 14番 libretto無し 恵美漸吉     台本は不在。オペレッタの台本は音楽と同じところに移された
797 台本 Libretto teatrale 1908年 IL CIECO DI GERICO エリコの盲人  ⇒ 15番 Cesare Zoboli     オペレッタの台本は音楽と同じところに移された
798 台本 Libretto teatrale 1941年 ドン・ボスコ叙階百周年記念 CONSACRAZIONE SACERDOTALE DI DON BOSCO ⇒4番 L.Del Col     オペレッタの台本は音楽と同じところに移された
799 台本 Libretto teatrale 1951年頃12月27日 CORSARI  IN  VAL  DI  SOGNO 夢渓谷の海賊  ⇒ 16番  libretto無し S.Pericolosi     オペレッタの台本は音楽と同じところに移された
800 台本 Libretto teatrale 1919年 CRISTIANO, CAVAL. SENZA MACCHIA e senza paura キリスト者汚なく ⇒17番 Anco Vinci     オペレッタの台本は音楽と同じところに移された。トリノの聖ヨハネ教会と聖ヨセフのオラトリオを担当していた時の作曲