チマッティ神父の永眠の日   




ミサ60周年に際して見舞いに来たサレジオ会員

ミサ60周年に際して見舞いに来たサレジオ会員

10月6日ご遺体は4日間、調布サレジオ神学院で安置された

10月6日ご遺体は4日間、調布サレジオ神学院で安置された



   1965年10月6日   


 チマッティ神父は1965年10月6日、朝6時半ごろに、調布サレジオ神学院で86年間の寿命を終えて、天に召されました。 調布で最後の15年間を過ごし、3年間は図書館係り、9年間は修道院の院長、最後の3年は色々な病気を患って死を迎えました。 其の内の2年半は寝たきりで少しずつ目が見えなくなり、耳が聞こえなくなって寿命を全うしました。 1965年9月28日に強い吐き気のため初めて御聖体を受けることができなくて、いのちの最後の習慣に入りました。 10月5日に注射を受けながら、「もう十分」、「もう十分」、が彼の口にした最後のことばでありました。 この時、彼を世話していたお医者さんはチマッティ神父を危篤状態にあると皆に知らせました。



   チマッティ神父はより良いいのちに入りました    


 その日の夕方、調布修道院の共同体は意識のないチマッティ神父を囲み、ロザリオの祈りを唱え、休む前にお別れを告げました。 明くる朝5時ごろに、調布修道院の共同体は昏睡状態のチマッティ神父の周りに集まり、その部屋で病者の秘跡とミサが捧げられました。 チマッティ神父の目はずっと閉じたままでしたが、ミサの一番大事な時である聖変に、両方の目を一瞬開き、右の目から涙が流れ、 お医者さんは「チマッティ神父はより良いいのちに入りました」と口にし、これでチマッティ神父のこの世のいのちの終わりとなりました。 このようにして神様はミサの生け贄と共に、チマッティ神父のいのちを、香りのある捧げものとしてお受け入れになりました。



   立ち会った人々の言葉    


 チマッティ神父の死に立ち会った神父たち、シスターたち、神学生等は割合に多くいたのですがその中の何人かの印象を紹介します。

 「日本のドン・ボスコと言われていたチマッティ神父の死に立ち会い、きっと遅かれ早かれ、教会の新しい聖人となるでしょう」
 「チマッティ神父の死の時に、心に恐れと不安を覚えず、ことばで言えない平和と喜びを体験しました。
  天国の新しい保護者を頂いたことを神に感謝しました」
 「チマッティ神父は、彼の全生活がそうであったように、静かに、穏やかに息を引き取られました」
 「チマッティ神父の死に、悲しみや無念の感じではなく、天国に新しいいのちがある希望を抱きました」



                                

                                                    チマッティ資料館
                                          当時一人の神学生であったマルシリオ神父
                                                  令和 6年 2月 6日


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