日本に派遣されたサレジオ宣教師たちへの「はなむけのことば」  




派遣式



  辞令  


 1925年夏、チマッティ神父と8人のサレジオ会員は日本で働くようにとの辞令を手にしました。そして、「出発の日は12月29日、イタリア・ジェノヴァ港から、 ドイツの船「フルダ」に乗ることになっている。良き準備をするように。」と言うことばがありました。
 良い準備の意味とは、日本の文化や日本語の勉強と日本での生活ができるように配慮をすることです。当時、西洋では日本についてどういう認識を持っていたのでしょうか。
 「日本、日出ずる国、菊、桜、カーキ色、お米、おはし、着物の国、火山と地震の国」など。 その時のチマッティ神父のことばで言えば、「外国人に笑いの種を与えることの多い所、それと同時に苦しみの多い所である」と。



  カリエロ枢機卿のことば    


 さて、その年の10月の布教の日に、その9人のサレジオ会員はトリノの扶助者聖母教会で宣教師のしるしである十字架を首にかけられました。 その儀式は盛大に行われました。ドン・ボスコの第一回の宣教師団派遣から50周年のものだったので、 その十字架は、第一回の宣教団から生き残っていたカリエロ枢機卿が172人のサレジオ会員と52の扶助者聖母会員にかけられました。
 カリエロ枢機卿がミサをささげ、新しい宣教師たちを次のことばで励ましました。
 「派遣される国で三つのことに身を注ぎなさい。それは祈り、仕事、警戒。
 使徒パウロとフランシスコ・ザビエルを模範としなさい。
 イエスを伝え、イエスを愛しながら主を愛させなさい」と、いまだ衰えを知らない強い口調で述べました。



  教皇ピオ11世のことば    


 この儀式の一週間後に、日本という新しい宣教の場に派遣される9人のサレジオ会員は、教皇ピオ11世の謁見に与り、思い出に残ることばを賜りました。
 「あなたたちが日本に派遣されるにあたって、心から一人ひとりを祝福します。
 日本と言う国で行われた福音宣教で、良い種が蒔かれています。あなたがたは、それをさらに芽生えさせて下さい。
 50年前にドン・ボスコが南米に宣教師を送り、成功を収めたように、この50回目の宣教師の努力にも多くの実りがあるでしょう。
 使徒たちがイエスから派遣されたように、あなたたちもイエスから派遣されていることを思って下さい。 使徒たちの心の姿勢を持ちながら、神の国の発展を目指して、委ねられたところで励んで下さい」



  フィリッポ・リナルディ総長のことば    


 そして日本への出発の日がやって来ました。12月29日の朝、フィリッポ・リナルディ総長は日本へ旅立つ9人のサレジオ会宣教師と共にミサをおささげになり、 彼らに次の内容のはなむけの話をされました。
 「あなたたちは多くの会員の中から選ばれ、とても遠い国に行くことになっています。日本の社会的文化的レベルはもっとも高いですから、 そういう奉仕にはあなたたちは必要とされていません。
 そこで人々が持っていないものを運ばなければなりません。それはイエス・キリストの愛です」
 その時にチマッティ神父と他の宣教師たちの気持ちはどういうものだったのでしょうか。 出発の4日後に船からチマッティ神父はリナルディ総長宛の手紙でこのように書きました。
 「この出発はあらゆることからの離脱を私達に求めています。でもそれは、私達と多くの日本人の霊魂の救いのためであると確信しています」



                                

                                             チマッティ資料館  マルシリオ神父
                                                   令和 3年 8月 6日


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