チマッティ管区長のトリノ本部に出した最後の手紙   




視察者との最後の写真

視察者との最後の写真

チマッティ神父が米軍からもらった靴

チマッティ神父が米軍からもらった靴



     


 チマッティ神父は1926-1949年まで日本にいらして働き、24年間も、日本でのサレジオ会の福音宣教の長上としての責任を背負いました。 1949年の終わりごろに、サレジオ会トリノ本部から、手紙を受取り、その中で長い奉仕の労いのことばと解任のお知らせを頂き、 サレジオ会本部の長上に次の返事を送りました。



   チマッティ神父のトリノ本部への最後の手紙    


 「サレジオ会本部の長上の手紙を受取り、感謝しながら、2、3の点を指摘させて頂きます。
 日本にもうすでに総会長さまの代理がお着きになって、長年の私の解任願いが長上から聞き入れられたことを伺いました。 この願いは良心的で確信に基づくものでありました。きっと日本のサレジオ会管区に大きな利益が伴うだろうと信じています。 私としては神と目上に感謝することばしかありません。受け取った手紙の中で私に対して長上の感謝のことばがありましたが、 実際によく働いたのは主の恵みに導かれ、日本のすべてのサレジオ会員であります。 私の感じですが、長上は最初から今まで私のことを過信し過ぎました。私は確かに務めを果たす望みをずっと持っていましたが、 多くの誤りを犯し、もしかしたら神様に侮辱が与えられ、ある会員が自分の召命に迷ってしまった事があったかも知れません。 さらに本部の長上の指導にいつも従ったとは言えません。
 今後の私のことに関して一つ申し上げます。日本に残るか別の国に回されるかどうかについては、長上の望みは私が日本に残ることであると分かりました。 私としてはどちらでもよいので、70歳でやれることをどこででも喜んで果たす望みを持っています。これは神の望みではないでしようか。
 総会長の代理が最近決めて実行してもらっていることを見ても、私の指導の物足りなさと決断力のなさを感じています。
 さて、実行の乏しかったことのためにゆるしを願い、本部の長上に従わなかった時のため、また、日本のサレジオ会員を悲しませたことを悔いながら、お詫びをいたします。
 日本のサレジオ会管区は貧しい状態にありますが、借金のない状態で退任いたします。お金のことですが、私はこの点で決して上手ではありませんでした。  新しい場所に移る辞令をまだ手にしていませんが、新しい管区長に素直に従うつもりであります。
 これからの人生の歩みを、謙遜、沈黙と祈りの内に辿っていく所存であります」。



       


 チマッティ神父はこのことばで自分の24年間の長上職を評価しています。トリノ本部に対してずっと秘められた気持ちも見られます。 言うまでもないですが、チマッティ神父の謙遜とすべてにおいて神の御旨の実行と言う生活の狙いが目立ちます。



                                

                                             チマッティ資料館  マルシリオ神父
                                                  令和 5年 7月 6日


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