カトリック教会は人の列福・列聖調査の第一条件として、天に召された信徒が「聖人であること」の幅広い
評判を求めるのです。
チマッティ神父は亡くなってからばかりでなく、生きていた間にも「聖人であること」「その徳のために尊
敬され、愛された」評判はとても高かったのです。
彼の生徒であった人達のことば
● 最初の働きの場であったヴァルサリチェ学院の彼の生徒であった人達のいくつかのことばを引用します。
「チマッティ神父は私達の懐かしい先生でありました。長い時間が経ったのですが、その晴れやかな姿は今も記憶にまざまざと刻まれています」。
「チマッティ神父の思い出は心にあるばかりでなく、徳のあったその姿が現在の生活における刺激となっています」。
「チマッティ神父は私にいのちの尊い価値観を教えてくれました。彼の教えが忘れられません」。
「チマッティ先生の優しい眼差しは今の生活の困難を乗り越える力となっています」。
サレジオ会員のことば
● 幾人かのサレジオ会員のことばもあります。
「心にずっと一つの声が響いています:チマッティ神父は真のサレジオ会の聖人である」(アロイジオ・リッチェリ総会長)。
「聖人とは何であるかを知りたいなら、チマッティ先生をご覧なさい。彼が聖人でなければ、だれが聖人と言えるのでしょうか」(コヤッジ神父が
生徒たちに話したことばです)。
日本でのチマッティ神父の評判
● 日本でのチマッティ神父の評判。
「チマッティ神父の姿は神学の本に書かれている聖人の姿とぴったりです」。
「チマッティ神父は真摯なお方、博士、音楽家、サレジオ会員、司祭であった。でも彼は特別に多くの徳に富んでいた方でありました」。
「対話する先生、愛想の良い方、絶えず微笑む方、犠牲を惜しまない方、神をどこでも口にする方、ずっと自己自制に生きた方、これはチマッティ
神父です」。
「チマッティ神父は聖人であった。彼は見える奇跡を行ったことはないが、彼の規則正しい生活、神との一致、信仰の精神、休みを知らない仕事ぶ
りの姿こそは全部一つの奇跡でありました」。
日本で働いていたあらゆる国と修道会の宣教師たち
● チマッティ神父は、神からは勿論のことですが、珍しいことには、
当時、日本で働いていたあらゆる国と修道会の宣教師たち皆から尊敬され、愛さ
れていました。
チマッティ資料館
マルシリオ神父
令和 6年 4月 6日
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