チマッティ神父はキリスト教の家庭、サレジオ修道会の学校で育てられました。さらに修道者と司祭としての長い養成を受けて、確かに神の立派なしもべとして生活を送りました。
では、人間として、他の人々とともに、また人々の間に生きる者として、どういうお方だったのでしょうか。
彼がキリスト者の模範となる者である事を認めてもらうために、バチカンに長い記録が提出されました。
それによると、チマッティ神父は、外見的には、大きな人ではなく、小さい人で、目立たない人でありました。
しかし身体的にも精神的にもとても健康な人で、丈夫な人でありました。
提出された文書を読み進めると、他の人々との関係において、その態度は、賢明さ、正義、強さ、節度において著しくすぐれたものであったと伝えられています。
ここに、今回はその賢明さについて少し触れてみたいと思います。
会った人に悪い印象を与えた事はありません
チマッティ神父は86歳で天に召されました。その長い人生において、教授、校長、長上として数えきれない人に会っていますが、会った人に悪い印象を与えた事はありません。
だから50年間以上、重要なポストの責任を担いました。
日本に派遣されて、特に第二次世界大戦当時は、外国人として変な目で見られる時がありましたが、その時でも、日本の当局者とも、ものごとを円満に運びました。
多くの人から個人的な話を打ち明けられましたが、その秘密を洩らしたことはありませんでした。
悪いことばと行いの人に対して、親切にまた適切な時期に注意を与えることをしていました。
問題が起きた時には、焦ることなく、神にお祈りをし、人と相談してから解決に努めていました。
新しい事業を次々に始めましたが、いつも他の人の意見を拝聴して尊重していました。
人間としても確かに均衡の取れた人であった
バチカンの偉い枢機卿の一人はチマッティ神父について、次のことばを述べました、
「神様はチマッティ神父にものごとをわきまえる大きな知恵、また海辺の砂浜のような大きな心を与えて下さったのです」。
イエスも弟子たちを世界に派遣するに当たってこのことばを仰いました、「多くの苦しみに会うだろうが、蛇のように敏く、鳩のよう直に振舞いなさい」。
聖パウロも手紙の中に「自分を余り高く評価するのでなく、正しい物差しで自分のことを思いなさい」と。
多くの人に愛されたチマッティ神父は人間としても確かに均衡の取れた人であったと思います。
チマッティ資料館 マルシリオ神父
2020年7月15日
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