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【01】来日までのチマッティ神父 (2)
1901年〜1925年

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2008-06-05
No 分類 和暦 西暦 期間  
77 0 明治36年 1903 5 24   トリノで扶助者聖母マリアの載冠式の音楽のために協力する
78 0 明治36年 1903 7 16   自然科学農学部の博士号を取得し、哲学部に編入する
79 8 明治36年 1903 8 4   教皇ピオ10世即位。1914年まで
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81 0 明治37年 1904 12 17   助祭に叙階される
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83 0 明治38年 1905 3 18   Tonelli神父と共にCagliero司教の手により司祭に叙階される
84 0 明治38年 1905       高校で自然科学・農学・教育学・音楽を教える
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86 0 明治40年 1907 6 10   王立トリノ大学哲学部で教育学の博士号を修得。「宣教師になるためなら、すべての博士号を放棄する」と明言する
87 2 明治40年 1907       今年から1922年まで農業雑誌“RIVISTA DI AGRICOLTURA”に毎月寄稿
88 0 明治40年 1907 10     教務主任となる。愛情に基づくドン・ボスコの教育の模範となる。修道院の院長はVarvello Francesco神父
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90 2 明治41年 1908       この一年、オラトリオ ABRAHAM と IL CIECO DI GERICO を作曲
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92 1 明治42年 1910 4 6   サレジオ会総長ルア神父帰天
93 1 明治42年 1910 8 16   アルベラ神父が総長に選ばれる
94 2 明治42年 1910       この一年に、L’ARTICOL GRECOギリシア語の授業、NOMINATIVO QUI, QUAE, QUOD ラテン語の授業、INNO BARCAROLA LA BARCA DONDOLA を作曲
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96 0 明治44年 1911       管区評議員に任命される。1918年まで
97 2 明治44年 1911       師範学校のため“LEZIONI DI PEDAGOGIA”教育学3巻を著す
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99 0 大正元年 1912 10     聖ヨハネ教会附属学校へ転任、教務主任となる。ヴァルサリチェの授業も兼務する。修道院院長はAlessio Barberis
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101 0 大正2年 1913       Oratorio San LuigiそしてOratorio San Giuseppeも担当する。1919年まで。同時にヴァルサリチェでも教える
102 1 大正2年 1913       Callisto Caravario青年(1930年中国で殉教)をサレジオ会に導く
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104 8 大正3年 1914 8 20   教皇ピオ10世が帰天
105 8 大正3年 1914 9 3   教皇ベネディクト15世即位。1922年まで
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107 9 大正4年 1915 5     イタリアはオーストリアと開戦し、第一次世界大戦始まる
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109 0 大正5年 1916       トリノでボーイスカウトの団を設立する
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111 0 大正6年 1917       貧しい人を助けるために共助組合を活用する
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113 0 大正7年 1918 11 11   戦争終結。アルべラ総会長に手紙を書き、自分の限界を訴える
114 1 大正7年 1918       Lucchelli Alessandro神父が管区長になる。1925年まで
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116 0 大正8年 1919 10 1   ヴァルサリチェ高校へ戻り、教師を務める。院長はMussa Felice 神父。1922年まで
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118 0 大正9年 1920 4 1   ヴァルサリチェ学院の校長に就任する
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120 1 大正10年 1921 10 29   総長アルベラ神父が帰天
121 0 大正10年 1921 11     長上への手紙のなかに「母に助けをお願いします」と書く
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123 8 大正11年 1922 1 22   教皇ベネディクト15世帰天
124 8 大正11年 1922 2 6   教皇ピオ11世即位。1939年まで
125 0 大正11年 1922 3 22   母・ローザ帰天
126 2 大正11年 1922 3 22   母・ローザ臨終の時『CORONA AUREA 黄金の冠』を作曲
127 1 大正11年 1922 4 24   リナルディ神父が総長になる
128 0 大正11年 1922 10 15   ヴァルサリチェ修道院の院長に任命される
129 9 大正11年 1922 10 28   ファシズムが政権を握る
130 2 大正11年 1922       この年にオペレッタ MARCO IL PESCATORE (“REFUGIUM”) マルコ漁師2幕、また BEN ISRAEL 2幕 を作曲する
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132 1 大正12年 1923 1     聖座、日本の宣教地を引き受けるようにとサレジオ会に提案する
133 0 大正12年 1923 11 9   チマッティ神父、「一番惨めな、骨の折れる、誰も気にかけない宣教地へ私を送ってください」と手紙でリナルディ総長に願う
134 2 大正12年 1923       ”LEZIONI DI AGRARIA” 農学の教科書3巻と、”IL LIBRO DELL’AGRICOLTORE” 農家の手引書3巻を著す
135 2 大正12年 1923       E` L’ORA DI PARTIR...O CARO PIOVA出発のカンタータを作曲
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137 2 大正13年 1924       オペレッタ ALBA FIORITA 少年ヨハネ・ボスコの夢 3幕
138 2 大正13年 1924       オペレッタ SAN FRANCESCO DI SALES 2幕
139 2 大正13年 1924       オペレッタ RAGGIO DI SOLE 3幕
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141 2 大正14年 1925       “DON BOSCO EDUCATORE” 教育者ドン・ボスコを著す
142 0 大正14年 1925 7 18   サレジオ会海外事業開始50周年記念の事業として、日本への宣教師団派遣が決まり、団長に任命される。
143 0 大正14年 1925 10 5   院長の任期終了。後任には Costa Ludovico 神父、管区長はMinguzzi Giovanni神父、秘書はZortea Celso 神父
144 0 大正14年 1925 11 7   ドン・ボスコの部屋で総長リナルディ神父から宣教師の十字架を受ける
145 0 大正14年 1925 11 20頃   ローマでピオ11世教皇の謁見を受け、祝福と励ましの言葉をいただく
146 0 大正14年 1925 11 22   カタコンブへ巡礼する
147 0 大正14年 1925 11 25   ローマの近くのフロシノーネで姉と別れをする
148 0 大正14年 1925 12 29   ジェノワ港からドイツ船「フルダ号」で9名が出発。司祭V.Cimatti 46, Giovanni Tanguy 45, Antonio Cavoli 37, Leone Liviabella 30, Angelo Margiaria 27, Pietro Piacenza 26, 修道士Giovanni De Mattia 37, Luigi Guaschino 32, Alfonso Merlino 24。船上、後の一橋大学初代学長となった、上原専禄に出会う
149 2 大正14年 1925       この年にIL GIGLIO D’ORO DI VISNU` 2幕(1955年に「ヴィシュニュー」として日本語に訳された)
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