尊者ヴィンセンゾ・チマッティの諸徳

チマッティ神父

 チマッティ神父は1991年12月21日に教皇から「尊者」と言う称号をあたえられました。 「尊者」と言うことばの意味は「その生涯にキリスト教的な徳を英雄的に守った」という意味です。
 彼は若いときも、年取ってからも、あらゆる人から「聖人」「日本のドン・ボスコ」とすでに言われていました。 一般的に「聖人」「ドン・ボスコ」と言うと、珍しい奇跡を行う人と思われるかも知りませんが、私が知っている限り、チマッティ神父はそう言う不思議なことを行っていません。 その生き方は「聖人」すなわち「いつも神を考えながらの生き方であったと言えます。
 彼は深い信仰を持ち、その長い生涯において自然に、絶えずキリスト教的な徳の実践に努めました。 子供達もその姿を見てそう感じていました。調布サレジオ修道院の晩年のチマッティ神父を思い出します。 小さい子供たちに囲まれると、他の神父もいたのに、彼らは跪いて彼からのみ祝福を願っていました。
 聖座から認められた列福列聖調査の記録において、チマッティ神父の守ったキリスト教的な徳について話があり、11の徳も列挙されています。それらは神と直接に関係する徳:信仰、希望、愛。 人々を特に対象とする徳:賢明、正義、剛毅、節制。修道生活とかかわる徳:貞潔、清貧、従順、とチマッティ神父の特異な徳である謙遜です。これらの諸徳を守ったから「尊者」と言う名称を与えられました。
 今回、私の個人的な経験と合わせて、上に並べた諸徳の一番目、すなわち「信仰」について、皆さんに書いてみたいと思います。
 


  チマッティ神父の信仰

 チマッティ神父の信仰は本物であり、若い時からその心に植えられ、生涯中増して行ったのです。信仰は心にあるのですが、深ければ深いほど外部に現れます。 チマッティ神父の信仰は次の点に特に表れていました:個人的な祈り、共同体の祈り、神のみ旨の絶えざる受け入れ、絶えまない喜びの表情、起きる出来事、出会うすべての人に神を見ることに表現されました。
   彼は、ドン・ボスコのようにいつも祈っていて、自然に心に話しかけていたお方のことを口に出していた:イエス、マリア、ヨセフ、ドン・ボスコ、聖フランシスコ・サレジオ、小さきイエスの聖テレシア。
 彼と運動場で歩いて、救急車のサイレンが聞こえたら「神の御手にゆだねて・・・神のご保護を願いましょう・・・今、必要のある人のためにアヴェ・マリアを唱えましょう」と一緒にいる人にも祈らせていました。
 朝早く目が覚めると、3時4時であっても、起きていました。他の会員に迷惑をかけないために靴を手にし、修道院の礼拝堂へ行っていました。 靴をはき、まっすぐイエスの聖櫃の所に行って、その扉にノックして、そこにいない人に向かって、前、右、左にイエスの祝福を与え、膝まずき台に戻って、深い祈りに専念していました。
 だれでも彼がロザリオを手にしている姿を思い出しているでしょう。


  このことばを読んでいる皆さん

 このことばを読んでいる皆さん、今年の復活の季節は確かに今までのようではありませんでした。世の中はすべてが停止し、ぼうぜんとしています。経済は危機に直面しています。 会社が営業をやめています。すべてが私たちの働きによると思っていました。いつまでもこの地上にいるかのように生活を送っていました。
 皆、コロナヴィルスのワクチンや治療薬を必死に願っています。忘れていたのは、私たちの存在が常に神のいつくしみによることです。このパンデミックは、私たちにとって清めとなり、神に立ち帰えるきっかけとなります。 主は私たちがご自分に立ち帰るのを忍耐強く待ってくださっています。
 神に対する信仰と信頼を固く保ち、チマッティ神父のような信仰を持ちましょう!
 頭を下げて祈りましょう!ロザリオを手にして祈りましょう!
 父である神は必ず病気、苦しみや死に打ち勝ち、また私たちが平安と静けさのうちに憩うことができるようにしてくだるでしょう。

                                                      チマッティ資料館  マルシリオ神父
                                                     2020年5月18日



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