三番目に、方法の観点から「愛情・Amorevolezza」が登場します。これは日常の基本的な姿勢のことで、単なる人間的な愛でもなく、信仰の動機にもとづく愛だけでもありません。献身と、正しい判断と、適切な態度を必要とする総合的な姿勢なのです。
 愛情は、生徒のために全身全霊をささげた教育者が、彼らと共にいて、犠牲と労苦をいとわずに自己の使命を果たそうとする努力に現れます。それは当然、若者への真の献身、深い好意、対話の能力を要求するものです。その意味で、「君たちといっしょにいるのは楽しい。君たちと共にいること、これが私の人生だ」というドン・ボスコの言葉は、彼の姿勢をよく現す、きわめて示唆に富んだ表現です。そして、すぐれた洞察力を示す次の説明も加えています。大切なのは、「若者が愛されるだけでなく、愛されているとの自覚を持つことです」と。
 従って、真の教育者は、若者の生活に参加し、彼らの問題に関心を寄せ、彼らのものの見方を理解するように努め、彼らのスポーツ活動や文化活動や話に加わります。また、責任ある年配の友人として、善への道順と目標を指し示したり、問題解決や正しい判断に役立つ適切な助言を与えたり、また、間違った判断や態度があれば、賢明さと厳しさの伴う愛情をもって正したりもするのです。教育者と若者が「共にいる」雰囲気の中で、教育者は「長上」よりも「父、兄弟、友人」とみなされるのです。
 このような展望に立つと、何よりも人間関係が大切になってきます。ドン・ボスコは、教育者と若者との間の正しい関係を示すために、「親しさ・Familiarita」という語を好んで用いることがあります。彼は長い経験に基づいて、親しさがなければ愛が表せず、愛の表現がなければ信頼が生じえないと確信するに至りました。なお、この相互信頼は、教育活動の成功に不可欠な条件です。教育において、目標や、プログラムや、方法と指針などが具体性と効果をもつようになるのは、腹蔵のない「家庭的精神」に基づくとき、すなわち、明るく、楽しく、励ましの多い環境の中で実行されるときなのです。
 この点に関して、ドン・ボスコが教育の中で、レクリエーション、スポーツ、音楽、演劇などに大幅な場と重要性を付与していたことを忘れるべきではありません。彼はこれらをすべて「運動場・Cortile」と好んで呼んでいました。何よりも自発的で楽しい付き合いのときであるこれらの場が、賢明な教育者に、きわめて効果的な働きかけの機会を提供してくれます。それ自体は些細なことと思われるでしょうが、継続的に、また友情の雰囲気の中に行われるからこそ効果的なのです。
 生徒との出会いが教育的であるためには、相手に対する継続的な深い関心が必要です。これは若者の願望、価値判断、限界、生活状況、環境、緊張、要求、共同提案などに対する愛と洞察に満ちた関心でなければなりません。これによって教育者は、若者の一人ひとりを知り、かれらに共通する文化的状況を知るようになるでしょう。
 要するに教育者は、青春時代が単なる過渡期ではなく、人格形成過程での恵みの時であることを念頭に置いて、次のような面の育成を急務として自覚する必要があるのです。それは、良心の育成、家庭・社会・政治的な意識の育成、愛の育成、また性についてのキリスト教的な理解の育成、年齢と精神の成長に伴う判断力と正しい柔軟性の育成などです。
 現代は確かに文化的背景が異なってきており、キリスト教以外の宗教に属する若者が対象となることもよくあります。しかし、以上指摘してきた事柄は、ドン・ボスコの教育において非常に有効で、独創的な特徴の一つであると言えるのです。 
 ドン・ボスコが言う「愛情」と教育者の姿勢