遠藤周作の小説「沈黙」のモデルとなったキアラ神父の墓碑が調布市より
文化財指定を受け2月27日(土)にチマッティホールで記念講演が行われます。
同墓碑は現在チマッティ資料館脇に保存されており、館長のコンプリ神父が講演会に登壇し墓碑の経緯について解説します。
なお「沈黙」はマーティン・スコセッシ監督による映画が撮影され今秋にも公開されるそうです。
2月27日(土)の講演会詳細はここをクリック


以下カトリック新聞の記事より



サレジオ神学院の日誌より 1943年6月

3日木曜日 主の昇天の祭日
 今日の午後、修練長(タシナリ神父)は修練者と数名の神学生の協力を得て、キアラ神父の墓碑を家に運んだ。キアラ神父は、信仰のために40年間幽閉されてから1685年キリシタン屋敷で亡くなった。その墓碑は、宣教師が亡くなった時にあった場所から移され、ある家庭の所有となっていた。数日前、所有者は、日本宣教の歴史の専門家でよく知られているタシナリ神父にそれを寄贈した。神父は、早速、雨にもかかわらず、神学院にそれを移してきた。

5日土曜日
今日の午後、キアラ神父の墓碑が立てられた。場所は、神学院の前の庭、入り口の右にある応接間の窓の前である。
墓碑の素材は日本で墓碑のためによく使われる硬い石であり、四つの部分からなっている。すなわち、土台、四角柱の本体、帽子(当時のポルトガル人また宣教師たちが使っていた形の石の帽子)と、日本で花を飾るために墓碑の土台の前に置く石の器である。
墓碑には次の文字が刻まれている。上は梵語の字、柱の中央には「入専浄眞信士霊位」という戒名、また「貞享二年七月二五日」の年代である。
日本語の「信士」とは「清信士」の略であり、それは一般男子の仏教徒、または死後仏教葬儀を行われた男子に与えられる。「入専浄眞(ニュウセンジョウシン)」は、お坊さんがキアラ神父に与えた名前である。
(日誌はここまでである)

(後に付け加えられたあとがき)この墓碑は、神学院が調布に移転した時にその庭に移された。
デル・コル神父記 1957年3月10日