資料館News 2005年3月

3月18日叙階式、19日初ミサ100周年記念

3月18日・19日、チマッティ神父を慕っている私たちにとって記念すべき日である。

100年前、1905年3月18日、トリノのヴァルサリチェ学院の聖堂において、助祭ヴィンセンツォ・チマッティ氏と親友の助祭トネリ (Tonelli Antonio) 氏が、カリエロ (Cagliero) 司教の手により司祭に叙階された。式は午前6:15から始まった。その日の祝いには総長福者ルア神父も参加し、送る言葉として「あなたたちは地の塩である」と言い残した。

次の19日、聖ヨセフの祝日に、チマッティ神父は同じ聖堂で初ミサを立てた。ミサを始める前に、ペロニーノ・マリオ (Peronino Mario) 神学生は、その部屋まで呼びに行ってみたら、本人は床にひざまずいて祈りに夢中だった、と証言している。ヴァルサリチェの日誌も当日のことを簡潔に記しているだけである。25年後、チマッティ神父は「その時、主が特別な意味で私たちをご自分のものにしようとしていたので、私たちはとても震え上がっていたのだ」とトネリ神父に書いてきた。

当時は、記念カードを印刷する習慣はなかったようである。ただ一枚、チマッティ神父が恩人に贈った手書きのものが残っている。その表にフランス語で次の言葉が印刷されている。「ご聖体への愛。 偉大な日が来た。私の魂が喜び踊る。神は、すべての恩恵と賜物をもって私の魂に降る。Mons. De Segur」その裏には、相手の名前、初ミサ記念、サインと日付だけある。

当時の教え子トマシ・ヴィットリオ (Tomasi Vittorio) 氏はこう証言している。「1905年、共同体の喜び、また教え子たち、知人、親戚の愛情や尊敬の中でチマッティ神父が司祭に叙階された。本人はとても感激し、謙虚な気持ちで自分がこれほどの権威を受けるにふさわしくないと言い、明るい優しい言葉で皆に感謝していました。かえって、私たちは、彼こそ一番これにふさわしいと考えていました。その日から、彼は、司祭の務めを通して。自分のすばらしい活動を一層増やしてきました。」

1930年、チマッティ神父は宮崎で叙階25周年を祝った。

1955年、日本のサレジオ会員、サレジアン・シスターズ、宮崎カリタス会その他多くの友人の喜びのうちに、調布のサレジオ神学院で荘厳に50周年記念ミサを祝った。その際、ヴァルサリチェで教え子だったサレジオ会の総長ジジョッティ・レナト (Ziggiotti Renato) 神父も参加した。その日の多くの写真や資料が保存され、資料館に展示されている。


2005年4月1日 ― 育英工業高等専門学校の移転

今年の10月6日、チマッティ神父が夢見ていた職業学校は、1934年、「帝都育英工芸学校」の名前で東京の杉並区で設立された。これは、日本におけるサレジオ会の最初の学校であるが、後に「育英工業高等専門学校」として中身が充実され、70年の輝かしい歴史をなし遂げた。

今度は、2005年4月から新天地へ移転し、再出発することになった。この機会に、名前を「サレジオ工業高等専門学校」に改めることにした。杉並区には、カトリック下井草教会とサレジオ修道院、またSITEC(サイテック)という生涯教育センターが残る。

新住所は次のとおりである。

サレジオ工業高等専門学校
   
〒194-021 東京都町田市小山ヶ丘4-6-8
   TEL 042-775-3020  URL http.//www.salesio-sp.ac.jp/


コンプリ神父の韓国訪問 − 2004年11月12日〜17日

コンプリ神父は、11月12日〜17日韓国のサレジオ会に招待され、4日間にわたりソウル、大林洞、光州を訪れ、サレジオ会、サレジアン・シスターズ、カリタス会の各支部や教会の信徒にチマッティ神父について10回ほど講演してきた。通訳付きでイタリア語や日本語でチマッティ神父の生涯、その霊性を紹介し、どこでも関心がとても高かった。その結果、近いうちに韓国でチマッティ神父の伝記、ビデオ、CDが出版されることになった。チマッティ神父は、1934年9月、サレジオ会員の最初として韓国を訪れ、コンサートを開催したことがあり、資料館にそのプログラムが残っている。

2005年2月22日〜26日、韓国のカリタス会管区本部のシスター二人がチマッティ資料館を訪れ、同国の資料館のためチマッティ神父の多くの貴重な資料や写真を持ち帰った。宮崎カリタス会の創立には、チマッティ神父が果たした役割が決定的であったからである。


香港でのコンプリ神父の研究発表 − 2004年12月3日〜7日

中国のサレジオ管区創立100周年にあたり、ローマ本部のサレジオ会歴史研究所 (Istituto Storico Salesiano) 主催で、去る12月3日から7日まで香港で「東南アジア各サレジオ管区の始まり」についての研究ゼミが行われた。本管区の始まりについてコンプリ神父が発表した。その内容がこれから英吾で発表されることになっている。ゼミには、インドネシア管区を除いて、東南アジアのすべてのサレジオ管区の他に、サレジアン・シスターズ、宮崎カリタス会、その他サレジオ家族関係の修道会や在俗会が参加した。日本管区の始まりにおけるチマッティ神父の姿は、参加者にとても深い印象を残したようである。アジアのサレジオ会の中に、チマッティ神父に対する関心が深いと感じた。

この機会に、日本のキリシタンの歴史にも深い関係があるマカオも見学することができた。特に、追放された木部神父と仲間が過ごしていたサンパウロ教会の跡が心に残った。


コンプリ神父のイタリア訪問 − 2004年12月8日〜2005年1月15日

その後、12月7日の夜、コンプリ神父は香港からイタリアへ直行し、まずローマにある本部の資料室でチマッティ神父関係の資料を整理し確認してきた。

本部には、チマッティ神父についての膨大な資料が保存されているが、それらを活用するには、まず、その中味を確認し、その整理番号を調布のチマッティ資料館の番号と合わせる必要がある。コンプリ神父は12日間その資料室に閉じこもり、多くの新しい手紙を発見し、日本に保存されていない初期頃の何百枚の新しい写真も見つけた。今回、その手紙などをコピーし、写真をスキャナーで記録してから持ち帰った。これからそれらを整理するには時間がかかるであろう。

続いて、クリスマスを家族と一緒にヴェローナで過ごした後、トリノを訪れ、復活祭頃まで出されるはずであるチマッティ神父のイタリア語のDVDを促進してきた。その中に、録音されているチマッティ神父の1955年と1960年の黙想会の説教も、また1965年の幾つかの短い話buonanotteも含まれる予定である。

この機会に、コンプリ神父はトリノの聖骸布国際センターをも訪れ、2002年にスキャーナーで記録された聖骸布の最新の実物大のカラー写真を手に入れた。今まで見たことのない見事な写真である!感激のいたり!

最後に、チマッティ神父の生まれ故郷Faenza とRavennaを訪れた。現地の卒業生は4回の講演を準備してくれていたので、Faenza市の司教と副市長も参加された。イタリアでは、チマッティ神父の教え子たちが世を去り、師が1952年に最後の帰国の際に出会った人々も少なくなってきた。そのため、その思い出が風化しないために積極的に運動を進める必要がある。サレジオ会の本部も非常に協力的ではあるが、今回、依然日本を訪れたことのあるFaggioli Letizia女史が、運動を担当してくださることになった。この方はとても熱意があり、チマッティ神父の列福運動のために連絡係となることに喜んで賛成した。

現在、イタリアでは住所が確認されているチマッティ神父の友の会のメンバーは350人ほどいる。

チマッティ資料館 館長/ガエタノ・コンプリ神父
〒182-0033 東京都調布市富士見町3-21-12
電話0424-82-3117 fax0424-90-6707
e-mail info2@v-cimatti.com URL www.v-cimatti.com

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