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・  チマッティ神父 日本を愛した宣教師
ガエタノ・コンプリ 翻訳 ドン・ボスコ社 200
円+税

チマッティ神父 日本を愛した宣教師 





チマッティ神父の生涯を紹介した冊子が改訂されました。チマッティ資料館で200円でお配りしています。
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・ 『チマッティ神父』 本人が書かなかった自叙伝(上)
ガエタノ・コンプリ 翻訳 ドン・ボスコ社 480ページ 1,800円+税 

「チマッティ神父」本人が書かなかった自叙伝(上)序文

この本は、チマッティ神父の約10,000の文書と書簡から生まれたものです。イタリア語版には、『本人が書かなかった自叙伝』という題が付いていますが、これは、うそではありません。師は、自叙伝を書こうと思ったことはありませんでした。しかし、その文書の中に立派な自叙伝が含まれています。ただし、引き出すためには、根気強い作業が必要でした。

この本をとおして私たちはチマッティ神父の魂に入り、そのありのままの姿に接することになります。師は、聖人だったと思いますが、まず真の人間でした。豊かな知性をもち、意志が強く、感受性が敏感で、隣人をまごころから愛し、音楽が自然に心から湧き出てくる人でした。今まで未公開だったこれらの文書をとおして、私たちは初めてそのほほえみとおだやかな姿勢の裏に、困難、貧困、無理解に耐える不屈の精神があったことを知ることができます。

この自叙伝を読みながら、師がどれほど自分の内面を率直に表現しているかということに驚きます。それは、誇張のない真のチマッティ神父です。自己顕示欲というものを忌み嫌っていた師は、長上、協力者、教え子、知人たちへの書簡のなかに、期せずして自叙伝になりうる文章を多く書きました。

病床で「日本の土になりたい」と言ったチマッティ神父は、国籍はイタリア人、心は日本人でした。自分のすべてを、日本にささげたのです。日本で過ごしたのは、日本のいちばん難しい時期、戦前、戦中、戦後でした。46 歳で来日し、はじめに難しい日本語を学び、日本の文化の理解に努めました。外国人はすべてがスパイと見なされがちだった時代において、国粋主義や戦争中のさまざまな困難を耐え忍び、戦後の復興期の苦労も体験しました。その40 年の間、人類にとっていちばん大きな悲劇、世界恐慌によって世界の経済が崩壊した危機があり、第二次世界大戦もありました。そのなかでチマッティ神父は日本に対していつも深い尊敬を抱きながらも、日本人が見抜けなかったことや、憲兵の目を警戒して公言できなかったことも記録しました。ある意味でこの本は、『外国人宣教師の見た昭和史』といえます。

彼は、自叙伝を書こうと思わなくても、その6,000 通以上の書簡のなかに、率直なスタイルで、心の葛藤、悩み、内的なドラマを描き、キリシタン時代の宣教師たちと同じように、毎月、サレジオ会の総長に(初めはフィリポ・リナルディ神父、次はピエトロ・リカルドーネ神父でしたが)驚くほどの率直さで自分の「報告書」を送りました。そのなかに、日本の状況と大事な出来事も記しています。またイタリアの「サレジオ・ニュース」“Bollettino Salesiano”のために日本の文化、風習、歴史についての興味深い記事も加えていました。

調布の「チマッティ資料館」には、さらに師の「日誌」もあります。1926 年の来日から、管区長職を退いた1949 年12 月3 日までのものですが、それは、個人としてではなく、サレジオ会事業の責任者として書いたものです。

また、日本のサレジオ会の宣教師たちに送った数百通の書簡があります。彼らは、宮崎県、大分県、東京という離れた場所で難しい状況の中かで働いていました。長上だったチマッティ神父は、連絡を保つという目的で、また励ますためにどのようにふる舞うべきかを指示するためにも、毎月、1、2 回書簡を送っていたのです。これらの文書は、宣教活動の難しさを理解するためにたいへん参考になります。

最後に、教え子、知人、恩人たちが保存していた無数の手紙があります。これらは、師の死後、列福列聖運動担当者に渡されたものです。そのなかに、非常に親しい人間関係、人間としてどう生きるべきかを示す師の霊性を見ることができます。そのほかに、師の書いた記事、また講演、説教の下書きなども参考になります。

チマッティ神父の世界にじかに触れたいと望む人びとにとっては、早く、このような本の完成が待ち望まれていたのでしょうが、その実現には、まず膨大な資料を整理しデジタル化すること、また、ほとんどがイタリア語であるので、イタリア語版を先に出す必要がありました。2010年、ついに540 ページのイタリア語版ができましたので、今度は、日本語版です。

この翻訳を手がけたとき、私がすぐに感じたのは、イタリア人と日本人の興味の違いです。日本人は、日本に関わる記事、日本についての評価などを知りたいのです。また注解も、イタリア人と日本人向けの説明はまったく違います。そのため、改めて資料の選択から始める必要がありました。結果的に、ページ数が多いので、第T巻、第U巻の二つに分けることにしました。それは、戦前の部と、戦中・戦後の部です。

この第T巻では、まず、師の証言が少ないイタリアでの46年間を紹介します。師の修道者、学者、音楽家、教育者として、その人格形成が見られるところです。続いて、来日後の詳しい記録です。まず、日本の言葉と文化との出会い、続いて、宮崎教会での主任司祭としての活動、また長年の人材養成のための苦労、そして教区長としての5 年間の責任。その間、とくに1929年に始まった世界恐慌の影響があり、チマッティ神父にとっては苦難の連続でした。「気が狂ってしまう」と本部の長上に書いたほどでした。ついに、1940 年、日本政府が教会で指導的立場にいる外国人に辞職をする命令を出したところで、この第T巻が終わります。

文章を決定する前に、何名かの方に私が訳した文をお渡しし、貴重な助言をしていただきました。私は56 年間日本にいても、感情豊かなこの文章の翻訳の難しさをしみじみと感じました。ご協力くださった方々に心から感謝いたします。

では、日本を愛した宣教師チマッティ神父の人生のドラマの第T巻をどうぞ! 第U巻のためには、もう少々お待ち願います。多くの日本の人びとがこの宝物に接することを切に祈るとともに、師の霊性に触れていただきたいと望んでやみません。

2011年7月15日 チマッティ神父の誕生を記念して
チマッティ資料館館長 編・訳
ガエタノ・コンプリ神父

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もくじ

序文

第T章 生い立ち、そして神父になるまで 1879 1905

1879 1895  ファエンツァでの生い立ち
1895 1905 

若いサレジオ会員

第U章 教育者チマッティ神父 1905 1925

1905 1919  若者と共に
1920 1925 

宣教師を志す教育者

第V章 日本の文化との出会い 1926

1926 

小学生に戻った

第W章 宣教師チマッティ神父 1927 1929

1927  宮崎教会の主任司祭
1928  積極的に働く 独立宣教区の教区長
1929  イタリアでのドン・ボスコの列福

第X章 人材養成と事業の発展 1930 1934

1930 

世界恐慌中の人材養成と大淀の貧困

1931 

世界恐慌中の人材養成、高鍋の神学校

1932 

世界恐慌中の人材養成と事業の発展

1933 

救護院の発展、東京への進出、小神学校の建設

1934 

ドン・ボスコの列聖

第VI 章 「知牧区」の教区長チマッティ神父 1935 1940

1935 

チマッティ神父、「知牧区」の教区長

1936 

最初の司祭、最初のサレジオ会員

1937 

宮崎カリタス修道女会の創立

1938 

チマッティ神父は管区長、イタリアでの総会に参加する

1939 

嵐の前ぶれの中の新宗教法

1940 

教区長を辞職する

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・ 『チマッティ神父』 本人が書かなかった自叙伝(下)
ガエタノ・コンプリ 翻訳 ドン・ボスコ社 1,800
円+税

「チマッティ神父」 本人が書かなかった自叙伝(下)序文

今年の8月、次の電話を受けました。「神父様、自叙伝の本を三日間でぜんぶ読んで感激しました。これは本当のチマッティ神父です。早く続きを読みたい!」と。これは世辞を言う人ではなく、生前のチマッティ神父をよく知っていて、尊敬している人の声です。ほかに何名からも同じような話を聞きました。

自叙伝のこの下巻を手に取られる皆さんは、すでに上巻をお読みになったでしょう。したがって、チマッティ神父を紹介する必要はありません。上巻は戦前、下巻は戦中と戦後、1941年から召された1965年までの自叙伝。日本のいちばん大変な時代や再生の時代、国粋主義から民主主義へ移行した時代。そのなかにチマッティ神父はどう生き抜いたか、何を見たか、どんな扱いを受けたか。どんな活動をし、どういうかたちで最期を迎えたか。本当に興味の尽きない時期です。幸いに細かい記録と多くの歴史的な写真が残っています。

今回もチマッティ神父の手紙と日誌が大事な資料です。ただし、日誌は師が指導の立場にあった1949年11月まで。手紙は、戦時中国内だけでした。けれども、チマッティ神父は、いつか手渡すつもりで、戦時中も毎月、本部の長上への報告を書きました。本人が書かなかった空白を埋めるためには、支部の日誌の記録があります。

この本をとおして、皆さんは戦中戦後の師やサレジオ会、また教会や日本の社会の詳しい状況を知ることができるでしょう。評価をおゆだねします。

あとがきはチマッティ神父が書けなかった文です。簡潔にその列福調査の動きをまとめます。現在、師は「尊者」とされていますが、早く「福者」そして「聖人」となることを皆さんと共に祈っています。

では、本文に入る前に師について私の率直な印象を申し上げましょう。

私は、1955年から1962年まで7年間恩師と共に生活しました。最後の3年間はそばにいませんでした。自分が直に見たチマッティ神父は、温かみのある、近づきやすい、付き合いやすい方。態度は自然で、ポーズをとらず、目立たず、表情はいつも明るい。仕事好きで、何もしないでいられず、リクリエーション、遠足、祈り、食事など、できるだけ私たちの行動に参加していた。ひとりで遊びに行くのを見た、聞いたことはない。服装は質素で、飾ることなく、ある意味で貧しい。写真にそれが表れています。食事に好き嫌いはなく、共同体で出されるものを何でも召し上がっていた。葡萄酒が出れば一杯いっしょに飲む。遠慮はしないが、自分から求めない。祈る時に信心深いが、目立つポーズをとらない。悪口を言わず、聞きたくもない。音楽や伴奏を弾くとき、なんとも言えない味わいがあった。これが、師の身に着いた、最期まで変わらなかった態度でした。ある意味で「自然で当たり前の人」、しかし、よく磨かれた、本当の聖人でした。

この態度を支えていたのは、自叙伝によく現れてくる師の次の霊性でした。

以上、私の心に映るチマッティ神父です。その霊性は「日常生活の霊性」、とくに仕事に従事している現代人のための霊性です。

皆さんは、自叙伝のこの下巻を読みながら師の生の言葉をとおしてその心をお味わいになるでしょう。私たちに同じように神を愛する力が与えられますように祈ります。

2012年10月6日、チマッティ神父の命日にあたって
ガエタノ・コンプリ神父、S.D.B

もくじ ※2012/11/29 もくじを最新版に修正しました

序文

第I章 戦禍のなかでのチマッティ神父 1941 1945

1941 戦争が近づく
1942 事業、生き残りのための苦労
1943 宮崎の教区長との対立
1944 近づいてくる危機のさなか
1945 敗戦と再建の始まり

第II章 事業再建と発展の時代 1946 1949

1946 1947/4  戦後の再建
1947/4-5 1948/6  総会のため、イタリアへ帰国
1948/7 1949  管区長としての最後の苦労
1949  管区長の使命を全うする

第III章 チマッティ神父、図書係 1950 1952

1950  管区長を退いたチマッティ神父
1951  仕事を願うチマッティ神父
1952  イタリアへの最後の旅

第IV章 院長時代のチマッティ神父 1953 1957/3

1952/11 1953  和を培うチマッティ神父
1954  霊父チマッティ神父
1955  チマッティ神父、ミサ50周年を祝う
1956 1957/3  全力を尽くすチマッティ神父

第V章 病気を乗り越えるチマッティ神父 1957/4 1963/5

1957/4   脳血栓で倒れたチマッティ神父
1958  元気を取り戻したチマッティ神父
1959  院長の任期が延長されたチマッティ神父
1960  体力が衰えるチマッティ神父
1961 1962/3  院長の任期終了
1962/4 1963/5  下り坂を歩む

第VI章 神を迎えるチマッティ神父 1963/6 1965

1963/6  病床のチマッティ神父
1964  最期の言葉を残したチマッティ神父
1965  天に召されるチマッティ神父

編訳者あとがき

ヴィンチェンツォ・チマッティ神父 年譜

本書の主な登場人物(団体)・手紙受取人

チマッティ神父の日誌・記事・講演等

チマッティ神父時代の日本でのサレジオ会員

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・ チマッティ神父の手紙第4巻
『苦悩の伴う事業発展−1931年8月〜1932年12月』 1,200円(税別)
 2006年12月発売

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手紙4チマッティ神父の手紙を読むと、生きる力が湧いてくる、とよく言われる。

この第四巻は、チマッティ神父が若い神学生の院長として哲学、自然科学、教育学を教え、教育実習のため各教会に配置されていた若い会員を遠くから導き、教区長として事業全体の責任を負っていた時代の手紙である。

皆、師から生活費を期待していたのに、世界大恐慌中本部からの送金が減り、事業を増やす必要もあった。

別府、田野、都城、三河島教会がこの年に設立され、宮崎の救護院もこの年に建設された。

苦悩の中、師を支えた神のみ摂理への信頼は私たちに素晴らしい教訓となる。

 

目次

T 中国管区での黙想会、経済的協力を願う (1931年8月中旬〜10月)
U 極度の経済困難、国内外の問題 (1931年10月〜11月)
V 困難重なる、リナルディ総長逝去、神のみが頼り (1931年11月〜12月)
W 新事業計画と神学生の実地課程 (1931年12月〜1932年2月)
X 困窮中、日本の教会の空が曇る (1932年2月〜5月)
Y 喜びと悩み (1932年5月〜7月)
Z 別府教会を襲った嵐

(1932年7月〜8月)

[ 悩みの中の励まし (1932年8月〜9月)
\ インカルチュレーションの問題と福音宣教 (1932年10月〜11月)
] 躍進のとき、人材の問題 (1932年11月〜12月)

 

・ チマッティ神父の手紙第3巻
『世界大恐慌中の人材養成−1929年〜1931年』 1,200円(税別)

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この第3巻の雰囲気を理解するために、1929年後半、世界大恐慌が始まったことを念頭に置く必要があります。皆その影響を受けましたが、日本に収入がなく、外国の送金に頼るしかなかったチマッティ神父は、宣教師、新しく来日した神学生、シスター方を養うために想像を絶する苦悩に直面しました。宣教活動のために来日したのに、毎日、資金集めに追われていたのです。その中にあって、神のみ摂理に対する師の絶対的信頼がめだちます。

これこそ、私たちへのメッセージです。

この一冊の課題の中心は、宣教活動の他に、来日した若い神学生や中津に始まった小神学校の志願者を養成し、サレジアン・シスターズ(扶助者聖母会)の事業や生まれたばかりのドン・ボスコ社の出版活動を軌道に乗せることでした。いずれも、現代の日本の教会にとって、基本的な課題となっています。チマッティ神父の熱意は大いに参考になります。
                      

目次

T イタリアで、総会とドン・ボスコの列福式(1929年3月〜11月)
U 大淀や中津で、若い人材の養成始まる(1929年12月〜1930年4月)
V 福者ドン・ボスコの祝い、福祉活動、コンサート(1930年5月〜7月)
W 経済的困難、会員の病気、別府での夏休み(1930年7月〜9月)
X 出版活動、トルクイスト神父来日、神学校が高鍋へ(1930年9月〜11月)
Y 事業の発展、新しい宣教師、クリスマス・新年(1930年11月後半〜2月)
Z 経済困難が増える、宮崎で聖体行列、印刷学校(1931年2月後半〜5月)
[ シスターズとの協力、宮崎幼稚園、資金不足(1931年5月後半〜6月)
\ 出版活動、カトリック新聞、カトリック講話集、夏休み(1931年6月中旬〜8月)

 

『合唱聖歌集CANTATE DOMINO』 復刻版

編者: チマッティ神父
発行所: ドン・ボスコ社
総ページ: 300ページ
定価: 1,300円(税別)

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『チマッティ神父の手紙』 2
   主任司祭の心
   1927年2月〜1929年3月

編・訳: ガエタノ・コンプリ
発行所: ドン・ボスコ社
定価: 1,200円(税別)
ISBNコード: 4-88626-381-X C0016

『チマッティ神父の手紙』 1
   日本との出会い

編・訳: ガエタノ・コンプリ
発行所: ドン・ボスコ社
定価: 1,200円(税別)
ISBNコード: 4-88626-360-7 C0016
『チマッティ神父によるロザリオの黙想』
編訳: ガエタノ・コンプリ
発行所: ドン・ボスコ社
定価: 200円
ISBNコード: 4-88626-353-4 C0016
クリックすると大きな画像をご覧いただけます クリックすると大きな画像をご覧いただけます 『日本を愛した宣教師』 
著者: テレジオ・ボスコ/ガエタノ・コンプリ
発行所: ドン・ボスコ社
聖人シリーズE
定価: 300円 を 特価100円
ISBNコード: 4-88626-302-X
『チマッティ神父と歩んだ日々』
著者: レナート・タシナリ
訳者: アキレ・ロロピアナ
発行所: ドン・ボスコ社
定価: 800円
ISBNコード: 4-88626-300-3

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