アッシジの聖フランシスコの祝いの記念日
チマッティ神父はサレジオ修道会の修練期を終えて17歳でサレジオ会員になりました。
普通、人は1年か3年間の誓願を試みにするのですが、ヴィンチェンツィオはすぐに終生誓願をたてました。
この誓願の日は1896年10月4日、ちょうどカトリック教会ではアッシジの聖フランシスコの祝いが記念される日であります。
チマッティ神父は後に46歳になって1926年に来日したのですが、丁度その次の年1927年に、
アッシジの聖フランシスコ帰天700周年が九州の奄美大島で、フランシスコ会により行われたのです。
これに当たって、フランシスコ会は普通と違う催しを開催しようと思って、音楽会を考え、
隣の県に住んでいた宣教師・音楽家であったチマッティ神父を招いたのです。
チマッティ神父はこの時に最初の音楽コンサートを行い、それで有名人になって、
後に当時の日本全国に2千回以上音楽コンサートを披露する事になりました。
チマッティ神父とアッシジの聖フランシスコ
このようにして、2回もチマッティ神父の生活にはアッシジの聖フランシスコが関係を持つようになりました。
偶然のことだったのだろうか?
確かにに言えるのは、この二人にはとても類似的なところがあると言うことです。
聖フランシスコは自然界、歌うこと、人間との友情、謙虚さ、喜びと祈りのことでカトリック世界に於いて、
とても知られている聖人であります。実はこのようなことはチマッティ神父にも見られるのです。
チマッティ神父は自然科学の物理・生物博士号を若い時に取得し、イタリアでも日本でもその科目を教えたのです。
生徒と一緒に生物、化石、昆虫等の資料を集め、自然界の秩序の中に神の不思議が見られると信じていました。
「Allegro, sempre allegro」、「喜びなさい、喜びなさい」
チマッティ神父は生まれつき音楽家で、感受性の強い者でありました。
「人に会うだけで人を好きになって、音楽を作曲する気持ちになる」と彼が語った時があります。
人の中に神の姿がみられると本当に信じていました。
チマッティ神父は長年、人を導く立場に置かれたのですが、「私は人に命令することの出来る人間ではない」と言って、
何回も自分の地位を辞退しようとしていました。
人と話をし、別れにあたって、彼に口癖になっていたことばをいつも口にしていました「Allegro, sempre allegro」、
「喜びなさい、喜びなさい」。
また、チマッティ神父の祈る姿を思い出せない人がいるでしょうか!
朝早く、また、日中にロザリオを手に、一日の間に何回も教会の聖櫃を訪れ、
その前で専心するその姿・・・神のためにずっと生きるその有様は忘れることができないのです。
チマッティ資料館
マルシリオ神父
令和 6年 6月 6日
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