チマッティ神父の学歴   




1900年頃のヴェルサリチェ

1900年頃のヴェルサリチェ

1906年頃 院長ピシェッタ神父に向かって

1906年頃 院長ピシェッタ神父に向かって



   学校の先生を勤めるためには資格が必要です   


  チマッティ神父は1896年17歳の時にサレジオ修道会に入りました。 サレジオ会とは、1859年に北イタリアで聖ヨハネ・ボスコにより創立された、教育を使命とするカトリック教会の修道会です。 現在も世界130の国々で、貧しく恵まれない青少年の教育に専念し、キリスト教の愛に基づいて、 彼らを社会で貢献できる有能な市民に育てることを目指しています。
 どんな国でも、学校の先生を勤めるためには資格が必要です。そういうことで、長上たちは、若いチマッティ少年の才能を見抜き、色々な資格を取らせました。



   国立トリノ大学自然科学農業部    


 1889年10月、若きチマッティ青年は国立トリノ大学自然科学農業部に入学し、1903年7月に博士号を取得しました。 1905年から1922年までイタリアの農業雑誌にチマッティ博士の453もの記事が掲載され、 あらゆる課題について述べています。例えば養蜂に関するものだけでもまとめれば素晴らしい指導書となりました。



   王立パルマ音楽大学    


 さらに、1900年7月、王立パルマ音楽大学で検定試験を受けました。外部からの受験者に対して評価は厳しかったのですが、 優秀な成績で「マエストロのディプロマ」を取得しました。生まれつきの才能と努力の結果でした。 今でもよく歌われる「Ave Maria」はこの頃の作品です。



   国立トリノ大学の哲学部    


 1903年には、教育学の資格を得るために同じ国立トリノ大学の哲学部にも編入しました。 当時の国立大学の哲学は、司祭になろうとする、神学を勉強する人にはなじめないものでした。 その卒業論文の審査の席で、純粋なヘーゲル派信棒者だった教授は、チマッティ師の思想について 「この人は不可知論的懐疑論の支持者である」と評価しました。 チマッティ神父は笑いながらこの評価について話していましたが、実際にこの体験によって彼は哲学に対して警戒心を抱き、 理屈っぽい哲学的な議論にいつも抵抗を示していました。 後にその研究は哲学よりも教育学を教えるために役立ちました。



   maestro    


 チマッティ神父は、長上たちから、教える多くの資格を取得させられ、 また、トリノ・ヴァルサリチェ学校で教える多くの先生たちがいましたが、 その学校の生徒たちにとって、チマッティ神父だけは「maestro」「本当に真の先生」と見なされ、 彼だけはずっと、卒業してからも、「maestro」と呼ばれるようになりました。



                                

                                                    チマッティ資料館
                                                     マルシリオ神父
                                                 令和 6年 7月 6日


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