1945年の宮崎での一つのミサの雰囲気   



宮崎教会で深堀仙右衛ドミニコ司教

宮崎教会で深堀仙右衛ドミニコ司教



   もし転勤にならなかったら、カトリックになったと思います   


 アメリカ軍の進駐が開始し出だしたころ、プロテスタントであった宮崎の軍政部長は事務の関係などで、 たびたびチマッティ神父に接するようになり、ひじょうな感銘を受け、その人格に魅了され、 二人のあいだには、早くも相互の尊敬と暖かい友情とが生まれた。
 チマッティ神父が、宮崎にいるときには、ほとんど毎晩、ずっと昔からの友人かのように親しく語らう光景が見られた。 軍政部長をよく知っていた一司祭にチマッティ神父が述懐したとおり、
 「彼自身そう言っていたのですが、もし転勤にならなかったら、カトリックになったと思います。」
 その他、チマッティ神父は、特別の祝日には、宮崎に駐屯していた軍の中のカトリックの将校や兵隊たちを招いて、 日本人信徒たちといっしょに深堀司教司式の荘厳な典礼儀式に参加させていた。
 「神のみ前に、勝利者と敗北者を兄弟のように結び、神の代理者である日本人司教の前にアメリカ人をひざまずかせ、 異なる言語と国籍の人々を一致させる儀式は、なんとすばらしく教会の普遍性を表すことか ……」



   復興を目指して東奔西走!    


 宮崎知牧区では、チマッティ神父は事実上、教区の直接の責任者であった時代と、ほとんど同じような存在であった。 深堀司教には、そのエネルギーを消耗させる福岡教区があったので、主な行事以外は彼に委せていた。 それは無理もないことであった。
 宣教師たちは一人を除いて皆サレジオ会員であった。それで彼は、復興を目指して東奔西走!
 宣教師たちの活動がある程度軌道にのり、規則的に進行するように最低限度の物的、精神的援助を計らねばならなかった。



                                

                                                  チマッティ資料館
                                                  マルシリオ神父
                                                  "クレバコレ神父の伝記から"
                                                  令和 6年 11月 6日


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