愛情あふれる、均整のとれた人格
神学生の時、チマッティ神父と出会った一人の証人は、次のように言う。
「人間味あふれる気質をもったチマッティ神父は、接する会員、信者、未信者、だれに対しても愛情を表現した」。
ここで言う「人間味」とは、広い意味を持ち、慈愛、理解、愛情という意味もあり、
特に「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」というキリストが教える「愛」という意味である。
チマッティ師は強い気質とすぐれた感受性の持ち主であったが、幼い時から自分の性格を磨くように努力したことを、
念頭に入れなければならない。その結果、人間としても、信仰者としても、謙遜で、人に対して愛情あふれる、
均整のとれたすぐれた人格をつくり上げることができた。
神へと導く愛であった
彼と接した数多くの人の証言や教会の権威ある判断から、彼の隣人に対する愛は「英雄的であったことがわかる」。
ここで、彼の人間味の豊かさを、あるいは差別のない、彼の隣人愛を力説したい。
証言の中には、しばしばは「父親のように、「よき父」、「母親のように愛した」という表現がある。
扶助者聖母会の一人のシスターは面白い見解を示した。
「チマッティ神父様は、男性でありながら、人に対して母親以上の配慮や愛情を示した」。
古谷京都司教は次のように証言した。
「皆を抱擁したいほど、強い感情を持っていたが、清く、賢明で、自分に対して厳しい人であった」。
「彼の人間味には人を引き付ける力があった」。
「彼の愛は精神的な物であり、神へと導く愛であった」。
いくつかの実例を挙げることにしましょう
いくつかの実例を挙げることにしましょう。ヴァルサリチェでは、チマッティ師は、
20年もの間「病人係り」も務めた。当時は、病人は支部内で世話され、救急以外は、病院に連れていかなかった。
ヴァルサリチェの学生の人数が多かったので、必ずと言ってよいぐらい、だれかが病室にいた。
チマッティ師は医学と看護学を少し勉強したが、それ以上に大きな心をもって病人を世話していた。
病気の時、彼に世話になった人は、感動的な証言を残している。
「母親でも、彼以上のことはできなかっただろう」と。
授業、アシステンツァ、音楽のレッスンなどで一日中忙しくしていたにもかかわらず、
必要であれば、一晩中、病人のそばで過ごし、その翌朝には、自分のベッドで寝たかのように、仕事に励んでいた。
日本のサレジオ会最初の神学生のグループは宮崎で哲学を勉強していたが、1931年の夏休みを、
大分と別府の間にある仏崎で過ごした。グループの一人は次のように書き記した。
「夏休みの終わりに我々の一人(ザナリーニ)がチフスに感染した。大分の病院に運ばれるまで、
チマッティ神父は母親のように看病し、夜通しそばで過ごし、暑さと熱の苦しみを和らげるため、
彼の下に横たわり、彼の体が畳に当たらないように彼を支えあげた」。
イタリアに帰国した時、チマッティ神父は日本にいる宣教師の家庭を必ず訪れ、
親戚に宣教師たちのニュースや出来事等を伝えた。この家庭訪問は時間もかかり労苦も多かったが、
親戚に忘れることのない思い出を残していた。チマッティ神父の愛はそういうものであった。
レナト・タシナリ「チマッティ神父と歩んだ日々」 から
チマッティ資料館
マルシリオ神父
令和 7年 2月 6日
チマッティ神父の生涯目次ページへ
|