尊者チマッティ神父が生きた「希望」と言う徳 |
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キリスト教的「希望」という徳はこの世の中のものを対象とせず、そのはかなさの自覚から生まれてきます。
「人間的には希望がない」と言う時にも、キリスト教の立場から見れば、希望が失われることはありません。 チマッティ神父の希望は英雄的でした
聖座の列福列聖調査の記録によると、チマッティ神父の希望は英雄的でした。それは、人々と付き合うとき、その絶え間ないおだやかさ、忍耐強さと喜びに現れてきました。 一番恐ろしいのは、辛いことの前の落胆することです
日本に着いてから国籍が違う宣教師たちをまとめる苦労、歳のゆえに十分に言葉を取得できなくても日本の文化に自分を合わせるように努力し、
戦前、戦中、戦後の生活の貧しさを耐え忍び、希望を持ち続けただけでなく、一緒にいた人々にも希望を与えるように努めました。どうやってこれができたのであろうか。
聖座の文書に答えがあります。その中に記されているチマッティ神父の手紙のいくつかのことばを紹介しましょう。 |