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序文 |
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第T章 生い立ち、そして神父になるまで 1879 〜 1905 |
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1879 〜 1895 | ファエンツァでの生い立ち |
1895 〜 1905 | 若いサレジオ会員 |
第U章 教育者チマッティ神父 1905 〜 1925 |
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1905 〜 1919 | 若者と共に |
1920 〜 1925 | 宣教師を志す教育者 |
第V章 日本の文化との出会い 1926 |
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1926 | 小学生に戻った |
第W章 宣教師チマッティ神父 1927 〜 1929 |
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1927 | 宮崎教会の主任司祭 |
1928 | 積極的に働く 独立宣教区の教区長 |
1929 | イタリアでのドン・ボスコの列福 |
第X章 人材養成と事業の発展 1930 〜 1934 |
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1930 | 世界恐慌中の人材養成と大淀の貧困 |
1931 | 世界恐慌中の人材養成、高鍋の神学校 |
1932 | 世界恐慌中の人材養成と事業の発展 |
1933 | 救護院の発展、東京への進出、小神学校の建設 |
1934 | ドン・ボスコの列聖 |
第VI 章 「知牧区」の教区長チマッティ神父 1935 〜 1940 |
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1935 | チマッティ神父、「知牧区」の教区長 |
1936 | 最初の司祭、最初のサレジオ会員 |
1937 | 宮崎カリタス修道女会の創立 |
1938 | チマッティ神父は管区長、イタリアでの総会に参加する |
1939 | 嵐の前ぶれの中の新宗教法 |
1940 | 教区長を辞職する |
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・ 『チマッティ神父』 本人が書かなかった自叙伝(下)
ガエタノ・コンプリ 翻訳 ドン・ボスコ社 献金の目安 1,800円
序文
今年の8月、次の電話を受けました。「神父様、自叙伝の本を三日間でぜんぶ読んで感激しました。これは本当のチマッティ神父です。早く続きを読みたい!」と。これは世辞を言う人ではなく、生前のチマッティ神父をよく知っていて、尊敬している人の声です。ほかに何名からも同じような話を聞きました。
自叙伝のこの下巻を手に取られる皆さんは、すでに上巻をお読みになったでしょう。したがって、チマッティ神父を紹介する必要はありません。上巻は戦前、下巻は戦中と戦後、1941年から召された1965年までの自叙伝。日本のいちばん大変な時代や再生の時代、国粋主義から民主主義へ移行した時代。そのなかにチマッティ神父はどう生き抜いたか、何を見たか、どんな扱いを受けたか。どんな活動をし、どういうかたちで最期を迎えたか。本当に興味の尽きない時期です。幸いに細かい記録と多くの歴史的な写真が残っています。
今回もチマッティ神父の手紙と日誌が大事な資料です。ただし、日誌は師が指導の立場にあった1949年11月まで。手紙は、戦時中国内だけでした。けれども、チマッティ神父は、いつか手渡すつもりで、戦時中も毎月、本部の長上への報告を書きました。本人が書かなかった空白を埋めるためには、支部の日誌の記録があります。
この本をとおして、皆さんは戦中戦後の師やサレジオ会、また教会や日本の社会の詳しい状況を知ることができるでしょう。評価をおゆだねします。
あとがきはチマッティ神父が書けなかった文です。簡潔にその列福調査の動きをまとめます。現在、師は「尊者」とされていますが、早く「福者」そして「聖人」となることを皆さんと共に祈っています。
では、本文に入る前に師について私の率直な印象を申し上げましょう。
私は、1955年から1962年まで7年間恩師と共に生活しました。最後の3年間はそばにいませんでした。自分が直に見たチマッティ神父は、温かみのある、近づきやすい、付き合いやすい方。態度は自然で、ポーズをとらず、目立たず、表情はいつも明るい。仕事好きで、何もしないでいられず、リクリエーション、遠足、祈り、食事など、できるだけ私たちの行動に参加していた。ひとりで遊びに行くのを見た、聞いたことはない。服装は質素で、飾ることなく、ある意味で貧しい。写真にそれが表れています。食事に好き嫌いはなく、共同体で出されるものを何でも召し上がっていた。葡萄酒が出れば一杯いっしょに飲む。遠慮はしないが、自分から求めない。祈る時に信心深いが、目立つポーズをとらない。悪口を言わず、聞きたくもない。音楽や伴奏を弾くとき、なんとも言えない味わいがあった。これが、師の身に着いた、最期まで変わらなかった態度でした。ある意味で「自然で当たり前の人」、しかし、よく磨かれた、本当の聖人でした。
この態度を支えていたのは、自叙伝によく現れてくる師の次の霊性でした。
- 私たちが生きるのは、神のみ心を行うためです。
- 自分にとって神のみ心とは、毎日自分の務めを果たすこと。すなわち、自分の置かれている立場と場所、今の状態と能力に応じて、できるだけやれることをやること。「勤勉さ」です。
- 務めは、いやながらではなく、神の愛に応えるために喜んでやる。その気持でやれば「快活さ」明るい心が湧いてきます。
- 困難に出逢うとき、神を信頼して乗り越えるために努力したうえで、自分の身を神に委ねる。神は「愛してくださる父」であり、私たちのために困難をゆるされるのです。
- イエスはこう教え、こう生きておられた。私たちは主を見倣うべきです。
- イエスは今、ご聖体においていつも私たちと共におられる。私たちはキリストによって、キリストと共に、キリストのうちにすべてを行い、供え物としてすべてをささげるべきです。
- サレジオ会員にとって、この生き方の模範はマリア様とドン・ボスコです。私たちは彼らを保護者とします。これこそ、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコの霊性です。サレジオ会員にとってそれは会憲の中に記されています。
以上、私の心に映るチマッティ神父です。その霊性は「日常生活の霊性」、とくに仕事に従事している現代人のための霊性です。
皆さんは、自叙伝のこの下巻を読みながら師の生の言葉をとおしてその心をお味わいになるでしょう。私たちに同じように神を愛する力が与えられますように祈ります。
2012年10月6日、チマッティ神父の命日にあたって
ガエタノ・コンプリ神父、S.D.Bもくじ ※2012/11/29 もくじを最新版に修正しました
序文
第I章 戦禍のなかでのチマッティ神父 1941 〜 1945
1941 戦争が近づく 1942 事業、生き残りのための苦労 1943 宮崎の教区長との対立 1944 近づいてくる危機のさなか 1945 敗戦と再建の始まり 第II章 事業再建と発展の時代 1946 〜 1949
1946 〜 1947/4 戦後の再建 1947/4-5 〜 1948/6 総会のため、イタリアへ帰国 1948/7 〜 1949 管区長としての最後の苦労 1949 管区長の使命を全うする 第III章 チマッティ神父、図書係 1950 〜 1952
1950 管区長を退いたチマッティ神父 1951 仕事を願うチマッティ神父 1952 イタリアへの最後の旅 第IV章 院長時代のチマッティ神父 1953 〜 1957/3
1952/11 〜 1953 和を培うチマッティ神父 1954 霊父チマッティ神父 1955 チマッティ神父、ミサ50周年を祝う 1956 〜 1957/3 全力を尽くすチマッティ神父 第V章 病気を乗り越えるチマッティ神父 1957/4 〜 1963/5
1957/4 脳血栓で倒れたチマッティ神父 1958 元気を取り戻したチマッティ神父 1959 院長の任期が延長されたチマッティ神父 1960 体力が衰えるチマッティ神父 1961 〜 1962/3 院長の任期終了 1962/4 〜 1963/5 下り坂を歩む 第VI章 神を迎えるチマッティ神父 1963/6 〜 1965
1963/6 病床のチマッティ神父 1964 最期の言葉を残したチマッティ神父 1965 天に召されるチマッティ神父 編訳者あとがき
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父 年譜
本書の主な登場人物(団体)・手紙受取人
チマッティ神父の日誌・記事・講演等
チマッティ神父時代の日本でのサレジオ会員
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・ チマッティ神父の手紙第4巻
『苦悩の伴う事業発展−1931年8月〜1932年12月』 献金の目安 1,200円 2006年12月刊行
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チマッティ神父の手紙を読むと、生きる力が湧いてくる、とよく言われる。
この第四巻は、チマッティ神父が若い神学生の院長として哲学、自然科学、教育学を教え、教育実習のため各教会に配置されていた若い会員を遠くから導き、教区長として事業全体の責任を負っていた時代の手紙である。
皆、師から生活費を期待していたのに、世界大恐慌中本部からの送金が減り、事業を増やす必要もあった。
別府、田野、都城、三河島教会がこの年に設立され、宮崎の救護院もこの年に建設された。
苦悩の中、師を支えた神のみ摂理への信頼は私たちに素晴らしい教訓となる。
目次
T 中国管区での黙想会、経済的協力を願う (1931年8月中旬〜10月) U 極度の経済困難、国内外の問題 (1931年10月〜11月) V 困難重なる、リナルディ総長逝去、神のみが頼り (1931年11月〜12月) W 新事業計画と神学生の実地課程 (1931年12月〜1932年2月) X 困窮中、日本の教会の空が曇る (1932年2月〜5月) Y 喜びと悩み (1932年5月〜7月) Z 別府教会を襲った嵐 (1932年7月〜8月)
[ 悩みの中の励まし (1932年8月〜9月) \ インカルチュレーションの問題と福音宣教 (1932年10月〜11月) ] 躍進のとき、人材の問題 (1932年11月〜12月)
・ チマッティ神父の手紙第3巻
『世界大恐慌中の人材養成−1929年〜1931年』 献金の目安 1,200円
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この第3巻の雰囲気を理解するために、1929年後半、世界大恐慌が始まったことを念頭に置く必要があります。皆その影響を受けましたが、日本に収入がなく、外国の送金に頼るしかなかったチマッティ神父は、宣教師、新しく来日した神学生、シスター方を養うために想像を絶する苦悩に直面しました。宣教活動のために来日したのに、毎日、資金集めに追われていたのです。その中にあって、神のみ摂理に対する師の絶対的信頼がめだちます。
これこそ、私たちへのメッセージです。
この一冊の課題の中心は、宣教活動の他に、来日した若い神学生や中津に始まった小神学校の志願者を養成し、サレジアン・シスターズ(扶助者聖母会)の事業や生まれたばかりのドン・ボスコ社の出版活動を軌道に乗せることでした。いずれも、現代の日本の教会にとって、基本的な課題となっています。チマッティ神父の熱意は大いに参考になります。
目次
T イタリアで、総会とドン・ボスコの列福式(1929年3月〜11月)
U 大淀や中津で、若い人材の養成始まる(1929年12月〜1930年4月)
V 福者ドン・ボスコの祝い、福祉活動、コンサート(1930年5月〜7月)
W 経済的困難、会員の病気、別府での夏休み(1930年7月〜9月)
X 出版活動、トルクイスト神父来日、神学校が高鍋へ(1930年9月〜11月)
Y 事業の発展、新しい宣教師、クリスマス・新年(1930年11月後半〜2月)
Z 経済困難が増える、宮崎で聖体行列、印刷学校(1931年2月後半〜5月)
[ シスターズとの協力、宮崎幼稚園、資金不足(1931年5月後半〜6月)
\ 出版活動、カトリック新聞、カトリック講話集、夏休み(1931年6月中旬〜8月)
『合唱聖歌集CANTATE DOMINO』 復刻版
編者: チマッティ神父
発行所: ドン・ボスコ社
総ページ: 300ページ
献金の目安 1,300円
『チマッティ神父の手紙』 2
主任司祭の心
1927年2月〜1929年3月
編・訳: ガエタノ・コンプリ
発行所: ドン・ボスコ社
献金の目安 1,200円
ISBNコード: 4-88626-381-X C0016