(44)宣教師のこころ

宮崎1926年12月23日
ソルド・アントニオ(Sordo Antonio)神学生へ

親愛なるアントニオ君

1926-12#5一月の君の洗礼名の祝いに間に合いたいなぁ。君の手紙を読んで、喜びでいっぱいだ。なかなか手紙が来ないから、あきらめようと思っていた。今は、希望ではなく、確信をもっている。君たちがまだ文面でも私を思い出してくれるということを。他のことについては疑ったことはない。

君のことはよろしい。いつも私の良いアントニオ君だ。君に必要なのは次のこと。

@ 快活さと仕事。
A 短い祈り、射祷をもって神様との一致を保つこと。
B 口の中の筋肉を動かす舌下の神経(ipoglosso)をよくコントロールすること。私が言いたいことがわかるね。

生徒に対しては、祈りながら彼らを愛しなさい。目を配って、問題があれば責任ある人に報告し、献身的に彼らのために働くこと。

日本には、君のための場所はあるが、条件は今書いたことを守ることだ。(……)

私に関しては、すべての面で順調だ。元気で明るくやっている。この大変な言葉を学ぶために、もう一度生徒に戻った。すでに五回コンサートを開催し、二千人以上の人の前で二回アシジの聖フランシスコやイタリアについてイタリア語で講演した。来年、活動を始められると、まず信者を探し、強め、土台を固める。その後、新しいものを建て、マリア様とドン・ボスコを知らせる。私の小さな歌手たちはドン・ボスコとマリア様の歌を上手に歌えるようになった。いくらか寒いが、ストーブのことは誰も考えない。雨も風もイタリアと同じぐらいだが、あまり長く続かない。周りはどこでも緑、ほほ笑み、お辞儀。

音楽に関しては、欲しい物を言ってくれれば、送ってあげる。

私のために祈りを続けなさい。私は決して、君とヴァルサリチェの仲間たちを忘れない。一人ひとりによろしく。皆を祝福する。

君の V.チマッティ神父