チマッティ神父の取り次ぎによって神様からお恵みをいただいた方は、
列福運動の担当者マルシリオ神父にご連絡ください。
また、取り次ぎを願いたい方は、『取り次ぎを願う祈り』の用紙をプリントし、FAXか郵送くだされば
毎月のミサで捧げ、お墓に奉納いたします。
チマッティ神父の取り次ぎによる恵み
「奇跡はあるか」 ― 1991年、チマッティ神父はヨハネ・パウロ2世教皇から「尊者 Venerabile」の称号を与えられた。これは、その生涯や聖徳についての調査が終了し、聖人の資格があることを認められたという意味である。次は「福者」そして「聖人」になるであろうが、そのため、その取り次ぎによる一つの「奇跡」が必要である。殉教者の場合にのみ奇跡が必要とされないのである。
教皇ヨハネ・パウロ2世は、25年間の在任中、何百人もの「福者」や「聖人」を列福・列聖なさった。それぞれのために「聖人の奇跡調査委員会」から奇跡が認定された。「奇跡」は、神による「恵み」である。しかし、すべての「恵み」は「奇跡」ではない。わたしたちの存在や自然も神の「恵み」であるが、「奇跡」とはいわない。教会が「奇跡」として認めるのは、内容や状況から見て、自然に説明できない出来事、たとえば、末期状態のガンや、骨折や身体的な疾病が急に治ることなどのような出来事である。そこには、神の特別な計らいが認められるからである。もちろん、その出来事を証明する証拠が必要である。たとえば、治癒前後のカルテや、担当医の証言など。しかし、医師が証言するのは、説明できないということであり、奇跡ではない。奇跡は教会が判断する。
「聖人の取り次ぎ」 ― 問題は、その出来事が聖人の「取り次ぎ」によるかということであろう。これは、その聖人に祈った人の証言やその時の状況から判断できる。カトリック教会では、救われた方、すなわち聖人は、永遠に神のもとにおられ、わたしたちのために取り次ぐことができると信じている。そのため、信者は聖人の取り次ぎを願うのである。もしその聖人に祈って恵みがいただいたならば、その聖人が神のもとにおられることの「しるし」となる。
「チマッティ神父の取り次ぎによる恵み」 ― 尊者チマッティ神父を福者にするには、今、一つの奇跡が期待され、そのために神の恵みを願う必要がある。師を慕っている多くの人びとから恵みをいただいたという報告が数多く届いているが、奇跡の条件が満たされているかどうかは、教会の判断に任せるべきである。ここで紹介する出来事は、いずれもチマッティ神父の取り次ぎの力を示す不思議なものである。今後も、恵みをいただいた方は、担当のマルシリオ神父へお知らせください。
注:プライバシーの関係で、氏名を略して出来事を発表する。細かいデーターは、チマッティ資料館に保存されている。本人の許可があれば、氏名を公表することも可能である。
これまでにいただいた、お礼のお手紙のほんの数例を、ご参考までに以下に載せます。
どうぞ、チマッティ神父の取り次ぎを願いたい方は「取り次ぎを願う祈り」をお送りください。
●祈りをもって
YK 東京 2006年1月
私の嫁は、平成17年7月頃より、腹水がたまり、だんだん肺まで上がってきて、呼吸困難になり、精密検査の結果、卵巣癌の末期と言われました。杏林大学病院の有名な教授にも、慈恵大でもはっきり診断され、結果的には抗がん剤を使用しないで、リンパ節の温存療法をすることになりました。駄目でもいいと諦めておりましたが、ガンマーカーが1300になっていて、入院前日、私の家の祭壇で(嫁は信者ではありませんが)、みんなでチマッティ神父様に一生懸命祈りました。彼女もロザリオをにぎりしめていましたが、そのあと顔つきがとても落ち着いて輝いてさえいましたので、これは大丈夫かも?と私はふと思いました。次の日、愛知の病院に入院し、すぐ手術でした。私も行ってきましたが、結果は不思議なことに、癌がすべて、すべて消えていて、肺ガンにもなってなく、2週間で退院し、すぐ我が家で一日一日と元気になり、ガンマーカーが100にまでなり、仕事も開始できるようにまでなりました。これは絶対、奇跡だと今は毎日チマッティ神父様に感謝の祈りを捧げております。
●うつ病を乗り越えて
A.U. 東京 2005年6月
2003年11月14日、私の主人が仕事上の過酷な労働とプレッシャーから倒れました。私は過労ぐらい1日か2日休めば治ると思い、その時までうつ病の大変さを考えてもいませんでした。軽い気持ちでいたのです。
しかし、主人は来る日も来る日も布団の中で眠るばかりで、起きあがろうとしません。食欲もなく、何を話しかけても、ただぼーっとしているだけ。体重はどんどん減り、全く話すこともしません。もちろん仕事も行けません。自分のせいで仕事を他の人に押しつける、そのために皆に迷惑をかけることが苦しいようで、ただでさえ責任感が強く、真面目な性格で、人の仕事まで自分でかぶるような人なので、その時は自殺でもされたらなど悪い方に考え、とても心配しました。天気の良い日は公園に散歩に誘ったりして気分を変えてみたり、うつとわかっていても、まるで老人と歩いているようで40代の男とは思えず、悲しさが私を襲ってきました。
家庭の中も子供たちが中学3年、高校3年とちょうど進学の時期でもありお父さんが病気で休んでいることは分かっていても、うつ病には理解がありませんでした。家庭も段々暗くなり、中学の息子も進学の問題もあり、どんどん気持ちが荒れ、私にぶつけ始めました。高校の娘も自分の進路を見失い荒れ始めました。
私もその頃は、これからの生活を思うと、もっと仕事を増やし、生活費を稼がなくてはと必死で働きました。こんなに私が働いて疲れているのに主人は相変わらず布団の中でねている姿にカーッとなり「いつまで寝ているの。もう治っているのよ。早く仕事に行って」と感情にまかせ怒鳴りました。そんな時、悲しそうに私を見上げる主人に腹が立つのと、病気なんだから仕方がない、なんと罪深いことを私は言うのか、言ったあとで涙がこぼれました。その頃から私も心のバランスが乱れ始め、このまま2人で泥沼に吸い込まれる気持ちにまでなっていました。
そんな時、『そうだ。6日のチマッティ神父様のミサに行き心を全部解放しよう』と主人とミサにあずかり、うつ病を治してくださいと祈り、またミサの中でも皆さんにお祈りしていただきました。その後も6日のミサは毎月2人で「チマッティ神父様のお取り次ぎによって、うつ病を治してください。私と主人に勇気と力を与えてください。」と何度も祈りました。
その頃から、主人もどんどん元気を取り戻し、うつ病も良い方向に向かっていき、先生からも仕事に行く許可も出ました。発病から半年後のことでした。元の職場に戻ればまた同じことの繰り返しなので、別の部署を希望したところすぐに楽なところに変わることができました。主人のことは一安心です。
そんな折り、今度は私に倦怠感と恐ろしいぐらいの疲れが襲ってきました。すぐに病院に行ったところ、軽いうつ病でした。自分もうつ病になり、初めてこの病気のつらさがわかりました。随分と主人に酷いことを言ったものだと思いました。
この頃からすべては神のご計画ではなかったのかと思い始めました。毎日追われるように生活をし、心の余裕を無くし、がむしゃらに働く日々に私たちはうつ病で救われたのではないかと考え始めました。もしあのまま働いていたらもっと怖い病気になっていたかもしれません。子供たちも親に頼れないので自分で考え行動するようになり、自立し始めました。
うつという病気を夫婦で乗り越え、寒い冬から暖かい春へと向かっていることを実感し、神への感謝の気持ちでいっぱいです。「いつでも喜んでいなさい」という気持ちが良く分かりました。思わぬ神様からのプレゼントに家族を愛すること、喜び、祈ること、感謝、謙虚な心を取り戻したようです。
晴佐久唱英神父様(東京・高円寺教会主任司祭)の説教 2003年10月26日
HP「福音の森」<homepage2.nifty.com/immanuela/hoshi>より一部抜粋
インターネットで説教を読んでいるある方から昨日いただいた手紙を紹介します。
この方のお父様が小さい頃、カトリック系の施設に預けられたそうです。新入りの彼はそこでいじめにあってとても辛かった。当番制のはずのトイレ掃除を全部押し付けられて小学校3年の彼は毎日トイレ掃除をしていた。するといつも必ずどこからともなく一人の神父が現れて手伝ってくれ、一番きたないところを一生懸命こすって掃除してくれたそうです。
その神父の名前はチマッチ神父。ご存知でしょうか。今列福調査がすすめられている方です。
この優しい神父さんの話をお父さんは娘にいつも話してくれたので、心に深く残ったそうです。どこからともなく現れて手伝ってくれる神父さんの話、いい話ですね。神父にはその子が見えているってことでしょうね。壁を越える聖人の姿です。
ところで、そんな娘も大人になり、その話も忘れかけていたころ、彼女は教会でオルガン奉仕をするようになったけれども、昔弾いていたようにはうまく弾けなくてすごく苦しみました。手も動かないし楽譜も覚えられない。やがて神経症的に辛くなって、オルガン奉仕の当番の朝は緊張のあまり3時に目が覚めてトイレに通うようになり、ついには胃潰瘍になってしまい、もう無理だ、奉仕は出来ない、断ろうと思った。
その時ふと届いた雑誌を開いたらチマッチ神父さんの写真が載っていた。その写真を見たとたんに、小さい頃よく父親から聞かされた「どこからともなく現れて助けてくれた神父」の話を思い出し、わけのわからない涙がポタポタ落ちたそうです。
彼女は自分の伴奏楽譜の表紙の裏側にチマッチ神父の御絵を張って、緊張してもうだめだと思うたびに御絵に励まされて、恐れに打ち勝ってきたそうです。
そのころインターネットで「福音の森」にも出会い、高円寺教会の神父が「ミサにお帰りなさい。このミサで神の愛にどっぷりとつかって体の芯まであったまってください」とそう言っているのを聞いて、本当に安心し、毎週の説教に励まされてミサでの典礼奉仕を今でも続けているそうです。